
★要点
東京大学未来ビジョン研究センターは2026年5月1日、政策提言「バイオものづくり政策の課題と提言――バイオエコノミー社会の実現に向けて」を公開した。提言は、生物細胞設計、物質生産、製品化、消費、廃棄までを一体で捉え、基礎研究から社会実装、地域バイオマス活用、下流政策、国際ルール形成までをつなぐ必要性を示している。
★背景
バイオものづくりは、微生物や細胞の力で素材、燃料、化学品、食品原料などをつくる次世代産業として期待されている。一方で、日本は資源制約、地域差、量産インフラ不足、消費・廃棄との接続不足という課題を抱える。研究室の成果を社会の循環システムに組み込めるか。そこが問われている。
バイオものづくりは、夢の技術では終わらない。いや、終わらせてはいけない。微生物や細胞の力で、化石資源に頼らず、素材や化学品を生み出す。聞こえは未来的だが、本当に重要なのはその先だ。原料はどこから来るのか。地域で使えるのか。製品になった後、消費され、廃棄され、再び資源に戻るのか。東京大学未来ビジョン研究センターが公開した政策提言は、バイオものづくりを単なる研究開発ではなく、循環型社会を支える産業政策として組み直すための設計図である。
バイオものづくりは“細胞の技術”ではなく、“社会の技術”だ
バイオものづくりとは、生物が持つ代謝や発酵、合成の力を活用し、物質を生産する技術である。微生物、酵母、藻類、細胞。目に見えない小さな存在が、プラスチック原料、化学品、燃料、食品素材、医薬関連物質などを生み出す可能性を持つ。
だが、東京大学未来ビジョン研究センターの提言が強調しているのは、技術そのものの華やかさではない。むしろ焦点は、技術を社会にどうつなぐかである。
提言では、バイオものづくりの全工程を「生物細胞設計・物質生産・製品化・消費・廃棄」まで広げ、研究開発と政策上必要な項目を俯瞰するマップを作成した。そのうえで、現在の政策とのギャップを分析し、三つの政策課題を導き出している。
ここが重要だ。バイオものづくりは、細胞をうまく設計すれば済む話ではない。量産設備が必要であり、人材が必要であり、原料調達が必要であり、製品を受け入れる市場が必要であり、最後には廃棄や再利用のルールも必要になる。
つまり、バイオものづくりは“研究室の中の技術”ではなく、“社会全体の配線”を変える技術なのだ。
基礎研究から社会実装へ——足りないのは“つなぎ目”の設計
日本の研究力は弱くない。微生物、発酵、酵素、合成生物学。基礎研究には厚みがある。問題は、それを量産し、製品化し、事業として続けるための道筋である。
提言が第一の課題として挙げるのは、基礎研究からスケールアップ、商品化、社会実装までをつなぐプロセス設計の不足だ。バイオものづくりでは、実験室でうまくいった反応が、そのまま工場で成立するとは限らない。細胞は生き物であり、温度、栄養、酸素、雑菌、培養条件に左右される。小さなフラスコの成功を、大きなタンクの成功に変えるには、別の科学が必要になる。
提言はこの領域を、単なる製造ノウハウではなく、科学技術として再構築すべきだとする。プロセスエンジニアリング研究の拡充、インフラ整備、ファンディング、人材育成。さらにAIとの組み合わせにも可能性があると指摘している。ただし、AI万能論には踏み込まない。現時点での限界にも留意が必要だとしている。
この慎重さは大切だ。バイオものづくりは、生成AIのように画面上で完結しない。タンクが必要で、水が必要で、熱が必要で、原料が必要で、廃液処理も必要だ。デジタルだけでは動かない。だからこそ、物理的なインフラと現場人材が要る。
研究開発から社会実装へ。そこには“死の谷”がある。東京大学の提言は、その谷に橋を架ける政策を求めている。
地域バイオマスが鍵になる。資源のない国の上流思考
日本は資源が豊富な国ではない。石油も天然ガスも、鉱物資源も、多くを海外に頼ってきた。バイオものづくりを進めるうえでも、この現実から逃げることはできない。
バイオものづくりには原料が要る。糖、油脂、木質バイオマス、食品残渣、下水汚泥、農業残渣、海藻、CO2。何を原料にし、どこで集め、どの規模で使うのか。ここを曖昧にしたままでは、技術は社会に根づかない。
提言は、日本の現状に照らし、社会実装時の環境条件、国内外のバイオマス供給量、コスト、サプライチェーン、食料安全保障、経済安全保障を踏まえた戦略的研究開発が必要だとする。さらに、地域ごとのバイオマス資源の特性に応じた「分散型」バイオものづくりの重要性にも触れている。
これは、巨大な中央集約型プラントだけを想定しない考え方だ。地域にある未利用資源を、地域で回す。稲わら、剪定枝、食品残渣、家畜ふん尿、下水、木質資源。これらを“廃棄物”ではなく“発酵する原料”として見直す発想である。
地方に眠る資源を、都市の消費とつなぐ。農山村の未利用資源を、化学品や素材に変える。もしそれが成立すれば、バイオものづくりは脱炭素だけでなく、地域経済の再設計にもつながる。
ただし、夢物語にはできない。地域資源は量も質もばらつく。集荷コストもかかる。季節変動もある。だからこそ、国は地域ごとの事例を丁寧に集め、自治体だけでは対応しにくい規制や国際対応を支える必要がある。提言はその点も明確にしている。
“つくる”だけでは足りない、消費と廃棄まで政策に組み込む
バイオものづくりが本当に循環型社会の基盤になるかどうかは、製品化の後に決まる。
たとえば、バイオ由来の素材をつくったとする。それは既存のリサイクル工程に乗るのか。分別できるのか。分解されるのか。燃やしたときの扱いはどうなるのか。消費者はそれを選ぶのか。企業は調達基準に入れるのか。自治体の廃棄物処理政策と整合するのか。
ここを考えないバイオものづくりは、単なる“入口の脱炭素”で止まる。原料がバイオでも、使い捨てられ、回収されず、焼却されるだけなら、循環とは呼びにくい。
東京大学の提言は、下流政策との接合不足を課題として挙げている。消費・廃棄など下流の政策とバイオものづくり政策をつなぐ政策ミックスが必要だという指摘である。
ここに、今回の提言の面白さがある。バイオものづくりを「新素材開発」だけで語らない。環境政策、産業政策、消費者政策、廃棄物政策、地域政策を横断するテーマとして捉えている。
素材を変えるだけでは、社会は変わらない。使い方、集め方、戻し方まで変えなければならない。バイオものづくりとは、製品の誕生だけでなく、製品の“その後”まで設計する産業なのだ。
国際ルール形成の時代へ。日本は“つくる側”だけでなく“決める側”に立てるか
バイオものづくりは、国際競争の領域でもある。技術だけでなく、標準化、規制、バイオセーフティ、データ、原料アクセス、利益配分。ルールを誰がつくるかで、産業の勝ち筋は変わる。
提言は、横断的な課題として、バイオエコノミー社会に至る方向性と移行ビジョンの不明瞭さ、国際的なルール形成に対する準備不足、政府全体としての取組体制の拡充を挙げている。特に、戦略的な調査分析機能のハブ構築を強調している。
これは重要な視点だ。日本は優れた技術を持ちながら、国際標準や市場ルールづくりで後手に回ることが少なくなかった。バイオものづくりでも同じ過ちを繰り返せば、研究成果はあっても市場形成で主導権を握れない。
責任あるイノベーションも欠かせない。バイオセーフティ、バイオセキュリティ、デジタルシーケンス情報、アクセスと利益配分。これらは専門的に見えるが、社会的信頼の土台である。安全性や倫理、国際的公平性を軽視すれば、バイオものづくりは広がらない。
求められているのは、研究開発、規制、産業、外交をつなぐ司令塔だ。個別省庁の事業を積み重ねるだけでは足りない。複数の政策を束ね、戦略を更新し続ける場が必要になる。
“発酵する産業政策”をどう育てるか
バイオものづくりの未来を考える時、鍵は三つある。
第一に、基礎研究と量産の間を埋めること。研究室で生まれた細胞設計を、実際の製造プロセスへ移すための設備、人材、実証環境を整える。スケールアップは、単なる拡大ではない。別の難しさを持つ技術領域として扱うべきだ。
次に、地域資源と結びつけること。日本全国のバイオマスは均質ではない。だからこそ、地域ごとの資源、産業、廃棄物、農林水産業、エネルギー政策を組み合わせる必要がある。分散型バイオものづくりは、地方創生の道具にもなり得る。
最後に、消費と廃棄を最初から設計に入れること。バイオ由来であることは出発点にすぎない。使われ、回収され、再利用される仕組みがあって初めて、循環型社会の基盤になる。
バイオものづくりは、発酵に似ている。微生物だけでは進まない。温度、水分、時間、容器、手入れ、環境がそろって初めて、価値が生まれる。政策も同じだ。研究者、企業、自治体、国、消費者、金融、国際機関が混ざり合い、時間をかけて発酵する必要がある。
東京大学未来ビジョン研究センターの提言は、そのための“仕込み図”である。バイオものづくりは、未来の技術ではない。循環型社会を本当に動かすための、現在進行形の産業政策である。
提言情報:
東京大学未来ビジョン研究センター
政策提言 No.40
「バイオものづくり政策の課題と提言――バイオエコノミー社会の実現に向けて」
公開日:2026年5月1日
研究ユニット:技術ガバナンス研究ユニット
https://ifi.u-tokyo.ac.jp/news/22694/
https://ifi.u-tokyo.ac.jp/wp/wp-content/uploads/2026/05/policy_recommendation_tg_20260501.pdf
この記事の要約——「バイオものづくり政策の課題と提言」とは何か
東京大学未来ビジョン研究センターが公開した政策提言「バイオものづくり政策の課題と提言」は、バイオものづくりを単なる先端研究ではなく、循環型社会を支える次世代の産業政策として捉え直す内容だ。
微生物や細胞の力で素材、化学品、燃料などをつくる技術は、脱炭素や化石資源依存からの転換に期待される一方、研究室の成果を社会実装へつなぐ仕組み、量産インフラ、人材、原料調達、地域バイオマス活用、消費・廃棄政策との接続が不足している。
提言は、生物細胞設計から物質生産、製品化、消費、廃棄までを一体で見渡し、基礎研究と社会実装の橋渡し、地域資源を活かす分散型バイオものづくり、国際ルール形成への対応を重要課題として示した。
バイオものづくりは、技術そのものよりも、資源、地域、産業、消費、廃棄をどう循環させるかが問われる領域である。循環型社会を実現するには、素材を変えるだけでは足りない。つくり方、使い方、戻し方までを設計する“社会の技術”として育てる必要がある。
FAQ
Q. バイオものづくりとは何か。
A. 微生物や細胞、酵素など生物の機能を活用し、素材、化学品、燃料、食品原料などを生産する技術・産業領域である。
Q. 東京大学の提言は何を問題にしているのか。
A. 基礎研究から社会実装への接続不足、量産インフラや人材不足、地域バイオマス活用の遅れ、消費・廃棄政策との接続不足、国際ルール形成への準備不足を課題としている。
Q. なぜ循環型社会と関係するのか。
A. バイオものづくりは、地域資源や未利用バイオマスを原料にし、製品化後の消費・廃棄・再利用まで設計することで、化石資源依存を減らし、資源循環を促す可能性があるためだ。
Q. 日本にとって重要な理由は何か。
A. 日本は資源制約が大きく、原料調達や経済安全保障の観点から、国内外のバイオマスをどう活用するかが重要になる。地域資源を使う分散型バイオものづくりは、地域経済の再生にもつながり得る。
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