
★要点
北海道下川町。面積644平方キロメートル、東京23区とほぼ同じ広さの約9割を森林が占める、人口2,800人ほどの町である。
1953年、町は年間財政規模の9割にあたる金額を投じて国有林1,221ヘクタールを買い受け、豊富な天然林資源を択伐し、雇用の場の確保と町財政基盤の強化を進める計画であった。翌年、その森林が不運にも洞爺丸台風により甚大な風倒被害を受ける。そこから「伐ったら植える」を基本理念とした人工林施業へ舵を切り、循環型森林経営が始まって70年が過ぎた。
2000年代半ば、町は灯油より高い木質バイオマスボイラーを町営の温泉施設「五味温泉」へあえて導入した。理由は地球温暖化防止のみならず、経済循環との両立であった。——灯油代は町の外へ出ていくが、木質チップ代は町の中に残る。その判断が、いま年間4,600万円規模の燃料費削減として返ってきている。削減分の半分はボイラー更新のための基金へ、残る半分は給食費や子どもの医療費負担軽減など子育て支援の財源に回る。
そしていま、下川町が挑んでいるのは次の壁である。炭素は数字にできた。では、生物多様性は。「いい森」とは何か、をデータで言えるか。町は産業技術総合研究所と共同研究契約を結び、鳥の鳴き声のAI解析、土壌のeDNAに着手した。
森を測る。仕事に変える。人を呼び戻す。下川町は、ネイチャーポジティブとヒューマンポジティブを同じ設計図の上に置こうとしている。
★背景
本連載はこれまで4回にわたり、森林率という数字を暮らしへ翻訳する「制度」を追ってきた。職人の組織。共有林の統治機構。熱の地域自給。
日本の森林率は68.4%(2023年)。数字だけを見れば、スウェーデンと並ぶ森の国である。森林率が9割に達する自治体も各地にある。木材自給率も42.5%(2024年)まで回復した。
それでも、木を売り、燃やすところまでは届いても、その先——森の恵みが住民の職業、住まいの質、地域の文化として還ってくる回路——は、まだ多くの地域で設計されていない。
一方、国際的には2022年の昆明・モントリオール生物多様性枠組が「30by30」を掲げ、企業にはTNFDに代表される自然関連情報の開示が求められ始めた。炭素は一つの単位で測れる。だが自然は、地域ごとに生態系も課題も異なり、測ることそのものが難しい。
森林率9割の町は、その難題にどう向き合っているのか。連載の最終回は、日本の現在地を見に行く。
山の斜面に、緑のネットで囲われた一角がある。
中に並ぶのは膝丈ほどの苗木。ミズナラ、シナノキ。針葉樹ではない。鹿に食べられないよう、ネットが張られている。
その脇に、木の箱が立っていた。ポストに似ている。フクロウの巣箱である。
「絶賛分譲中なんですけど、まだ成約してないんです」。案内してくれたNPO法人森の生活の代表理事・麻生翼さんが笑った。
巣箱は情緒のために置かれているのではない。カラマツ類の苗木をかじるエゾヤチネズミを、フクロウに食べてもらうための装置だ。町は森林認証を継続するために殺鼠剤の空中散布をやめた。化学的防除から、生態的防除へ。その代わりに用意されたのが、この6つの箱である。
2026年9月11日、北海道上川郡下川町。森林率約90%、人口約2,800人。ジャパンSDGsアワード第1回の内閣総理大臣賞を受け、SDGs未来都市に選定された町を歩いた。
そこにあったのは、理念のショーケースではなかった。灯油との価格差を計算した帳簿。チップに混ぜられていた広葉樹。ミツバチが減ったと語る養蜂家の声。そして、「いい森とは何か」をデータで伝えようとする役場職員の試行錯誤だった。
1953年、町は財政の9割を投じて森を買った
下川町の始まりは1901年、岐阜県からの24戸の集団入植である。
それ以前、そこはアイヌモシリだった。太い広葉樹が林立する原生林を切り出し、売る。北海道全体がそうであったように、天然林の資源に依存した林業が続いた。
1920年代から30年代にかけて、金・銅の鉱山が開かれる。三井、三菱系の資本が入り、人が集まった。1960年の国勢調査で、町の人口は15,555人を記録する。過去最多だった。
だが輸入農林鉱物の増加などにより、産業が衰退し人口が急激に減少し始めた。
1953年、国有林1,221ヘクタールを買い受ける。価格は8,800万円。当時の町の財政規模は1億円ほどだったという。
そして翌1954年、洞爺丸台風が直撃した。買ったばかりの森は、一晩にして風倒木の山に姿を変えた。
当時の町長は、方針を転換する。天然林を択伐して売るのではなく、人が植え、育て、切る。ドイツ発祥の「法正林思想」に基づく循環型森林経営である。
毎年およそ50ヘクタールを伐り、跡地に植える。60年育成してひと回りする設計だ。
産業振興課の森林づくり専門員・斎藤丈寛さんが、原田町長の言葉を紹介してくれた。
「森は光り輝く」。
箱物に金をかければ、時とともに朽ちていく。だが森は、人が関わり続けることで価値を増し光輝き、そして生産力を増していく——そういう理念だったという。
町有林の面積はその後も拡大し、現在は約4,400ヘクタール。2003年には北海道内第1号として、FSC®認証(FSC-C015134)を取得している。
そして近年、最初に植えた木の伐採が始まった。60年の循環が、2周目に入っている。





灯油より高いボイラーを、なぜ入れたのか
下川町の名を全国に知らしめたのは、木質バイオマスだった。
だが、その出発点は環境政策ではない。
1998年から2001年にかけて、官民合同の「産業クラスター研究会」が開かれた。北海道電力の会長の呼びかけを受け、下川でも「いいもの探し」「磨けば光るもの探し」が始まる。
そこで出た結論が、森を軸に産業も教育も観光も組み立て直すという方向だった。2001年の中間報告には、環境・経済・社会の三つを統合する「良質な田舎の暮らし」というコンセプトが記されている。木質バイオマスのエネルギー利用も、この時に候補として挙がった。
実際に第1号のボイラーが町営の五味温泉に入ったのは、2000年代半ばである。北海道の自治体としては初めての導入だった。
ところが、事前のコスト試算では化石燃料のほうが安かった。
当時の町長は、それでも導入を選んだ。
化石燃料を買えば、そのお金は町の外に出ていく。最終的には産油国に渡る。だが木質チップなら、原料を集める人、チップを作る施設、供給する仕事が町の中に生まれる。多少高くても、お金は地域に残る——。
その後、原油価格は上がり続けた。
現在、町内に稼働する木質バイオマスボイラーは10基。灯油を使い続けた場合との差額は、年間4,500万〜4,600万円規模に達する。中東情勢が荒れても、公共施設の燃料調達価格はほとんど変わらない。
「上がれば上がるほど削減効果が生まれる」と斎藤さんは言う。
その差額の使い道が、この町らしい。
半分は、将来のボイラー更新や修繕の費用として基金に積み立てる。残る半分は、子どもの給食費の負担軽減と、高校生までの医療費無料化の財源に充てられている。
森から生まれた燃料費の差額が、次の世代の暮らしに回る。
熱のエネルギー自給率は、地域全体でおよそ5割、公共施設では7割前後。電力については、酪農家の家畜糞尿によるバイオガス発電、ダムの水力、木質バイオマス発電の三つで、町の電力需要を上回る量を発電している。ただし固定価格買取制度で系統に売電しているため、発電した電気が町内で使われているわけではない。
「先々は、ここで発電しているものを地域の中で使えるようにしていきたい」。総務企画課参事兼SDGs推進戦略室長の蓑島豪さんは、そう説明する。
町は、熱・電気・車両用燃料の三分野それぞれについて、2050年までに自給率をどう引き上げるかのロードマップを策定している。区域施策編の地球温暖化対策実行計画は、この規模の自治体には策定義務がない。それでも、あえて作った。




一の橋——「限界集落の未来形」をつくる
町の中心部から車で走ると、平屋の長屋が並ぶ一角に出る。一の橋地区である。
かつてここには木材加工の工場が集まり、JRの駅もあった。1960年代の人口は2,000人。いまは100人弱だ。
2009年当時、高齢化率は5割を超えていた。
町が整備したのが現在、26戸で構成されている「一の橋バイオビレッジ」である。希望者に集合住宅へ移り住んでもらう。高齢者が一戸建てに分散していると除雪が重労働になるが、長屋なら出入り口だけ除雪すれば済む。
敷地には木質バイオマスボイラー2基が据えられ、熱導管で住宅の給湯と暖房をまかなう。屋根の上のソーラーパネルは、ボイラーの稼働に必要な電力を供給する。
熱導管はさらに、町が整備したしいたけ栽培施設と、障害者施設へも伸びている。
そして近年、ここに新しい産業が加わった。戸田建設による夏秋イチゴの栽培である。
同社はもともと茨城県常総市で冬イチゴの栽培技術を持っていた。同社の三浦玄太さんによれば、下川町を選んだ理由は三つあり、一つ目は夏イチゴ栽培に適した気象環境であること。二つ目はSDGsに積極的に取り組んでいる行政という点で、洋上風力発電などに取り組む戸田建設とのシナジーが高いということ。そして3つ目が、自治体のバックアップ、レスポンスが良いからということだ。
下川で試験栽培を始め、2026年現在で4棟のハウス栽培を行っている。障害者施設の利用者が、規格外品のヘタ取りや出荷用の箱折作業を担う。
農福連携と、木質バイオマスによる再生可能エネルギー利用。その組み合わせで育ったイチゴは、東京の高級フルーツ店でも取り扱われている。
暮らし、エネルギー、産業、福祉。それぞれ別の部署が所管しそうな要素が、一つの集落に束ねられている。
「限界集落の未来の姿を作ろうという感じで」と麻生さんは言う。
仮に化石燃料が外から入ってこなくなっても、ここに住む人は冬に凍えることはない。働きたければ仕事もある。
高齢化率は、現在30%台まで下がった。



殺鼠剤をやめた町と、フクロウの巣箱
冒頭のフクロウの巣箱には、経緯がある。
北海道では、カラマツの苗木を食害するネズミの数を抑えるために、ヘリコプターから殺鼠剤の団子を空中散布する手法が公式に認められてきた。
ところが数年前、FSC®認証の基準上、その成分が高度制限付き農薬に認定された。
町は選択を迫られる。殺鼠剤を続けるならFSCをやめる。FSCを続けるなら殺鼠剤をやめる。
町有林全域でFSC®認証を取得した、北海道で最初の自治体である。町は認証継続を選んだ。
だが、何もしないわけにはいかない。そこで「化学的防除から生態的防除へ」の転換が図られた。ネズミを食べるエゾフクロウに、戻ってきてもらう。
本来エゾフクロウは、老齢の天然林にできた樹洞に巣を作る。そんな木は、北海道でもほとんど残っていない。一方で、エゾフクロウは長距離を飛ぶのが得意ではない。開けていて見晴らしがよく、近くに天然林の塊がある場所は、悪くない条件だという。
巣箱にはケーブルが伸びている。スマートフォンをつなげば、中の様子が見られる。
同じ斜面では、別の試みも動いている。
一つは広葉樹の植栽。企業の支援を受け、ミズナラやシナノキの苗木を植えている区画だ。
もう一つは、天然更新に手を貸すやり方である。周囲の森から種子は自然に飛んでくる。放っておいても芽は出るが、周りの草に負けて消えてしまう。そこで、育てたい若木の周囲の草だけを刈る。数年続けると、下草より背が高くなり、自力で日光を浴びられるようになる。
麻生さんが足元の細い木を指した。シラカンバ。その隣はシナノキ。
「人間が自然の力をできるだけ生かして、それをちょっと人間が手助けしてやる」
60年サイクルの人工林経営が下川の基本であることは変わらない。そのうえで、針広混交林や、皆伐しても内部に広葉樹を残す「保残伐」といった手法が、少しずつ取り入れられ始めている。
理由は理念だけではない。乾燥被害で植えた苗が枯れる。マイマイガの幼虫が大量発生して葉を食べ尽くす。雪解けが早まり、土壌の水分が抜けやすくなっている。
「山火事は、本当に対岸の火事じゃない」と斎藤さんは言う。
起きる変化は止められない。ならば、被害を受けても回復する力のある森をつくる。適応型の森づくりである。




「いい森」を、データで伝えられるか
下川町がいま向き合っている壁は、はっきりしている。
炭素は測れる。実際、町は10年以上前に環境省J-VER制度に乗り、間伐を活用したクレジット創出としては全国初の事例をつくった。
「当時は、空気がお金になるなんて詐欺じゃないか、何を考えているんだと、よく言われました」と斎藤さんは振り返る。いまやクレジット取引は活発に資金が動く市場になっている。
問題は、その次だ。
生物多様性は、一つの単位で測れない。企業に価値を説明できなければ、資金も入らない。
町は、産業技術総合研究所とネイチャーポジティブに関する共同研究協定を結んだ。産総研側も2025年4月、部署横断の「ネイチャーポジティブ社会実装センター」を立ち上げている。
実証はすでに始まっている。
鳥の鳴き声をAIで解析し、生息する種を推定する。土壌の環境DNAを採取する。
鳥、DNA、昆虫のデータと、人間の経験。それらを掛け合わせて、「いい森」と呼ばれてきたものが何なのかを具体化しようという試みだ。
もっとも、簡単ではない。
鳥の音声解析に使われるAIモデルは、どこまで精度が出るのか。自然共生サイトのように人の手で作成された生物種リストがある場所と照合し、正確さの検証が進む。
それでも、町が描いている絵は具体的だ。
モニタリングという新しい仕事を地域につくる。企業からの支援でその費用をまかない、得られた環境・生物多様性の価値を報告する。企業はそれをTNFD等の開示に使う。
「役場が寄付金を欲しいという話ではなくて、外貨がそのまま地域の新しい仕事に流れていく」と斎藤さんは語る。
森を測ることを、森で食べていくことにつなげる。
これまで企業の森づくり支援は、寄付を受けて木を植えるところで完結しがちだった。その森の価値がどうなったのかを評価する仕組みは、まだない。
生物多様性には、手間賃がいる
ただし、と斎藤さんは続ける。
保残伐も、針広混交林づくりも、実際にやってみれば手間がかかる。配慮とは労務が増えることであり、労務が増えるとはコストが増えることだ。利益は減る。
同じ賃金のまま、役場が指示を出して現場にやらせる。それはナンセンスだと斎藤さんは言う。
「ここは手間がかかったけど、頑張ったらこの分手当がついたね」。そう言える仕組みがなければ、人の意識は変わらない。
20年続けてきたFSC認証の経験が、そう言わせている。当初は「認証材には付加価値がつく」という触れ込みだった。だが、そこにはまだ十分には至っていない。
だからこそ、生物多様性を進めるときには、最初から実益を見せられるようにしたい——。
日本で初めて「生物多様性手当」がつくようになりました、というような話があっていい。
これは林学の話ではない、と斎藤さんは言う。社会学であり、行動科学の領域であると。
担い手の問題も、同じ根を持つ。
循環型の理想を掲げても、植える人がいなければ回らない。そこで下川町が試しているのが、森を「開く」アプローチだ。
株式会社メタアンカーが運営する「コモリー」という引きこもり支援サービスを通じて、東京から社会復帰を目指す人たちが下川に来ている。町内にシェアハウスを構え、常駐は4人。造林事業に入り、トマトを手伝い、しいたけ栽培、夏イチゴ栽培に加わる。
従来、造林の現場は経験と勘の世界だった。そこにデジタルを持ち込む。ソフトバンクと共同で、植栽計画を机上で作成し、現場ではスマートフォンのナビゲーションで位置を確認しながら植えられるソフトを開発中だ。
昨秋から今春にかけて、社会復帰を目指す引きこもり当事者が森林組合の下請け事業者として、実際に現場に入った。
スマートフォンという道具を渡せば、素人でも木を植えられる。ビジネスとして成立し、体を動かして収入を得られる。
デジタルの力を借りて、これまで担い手になり得なかった人たちが活躍できる場をつくること。それも森づくりに求められるスタイルの一つではないか、と斎藤さんは語る。
ネイチャーポジティブとヒューマンポジティブが、ここで交差する。


15年かけて、「森の見方」を次の世代に手渡していく
担い手の話には、もう一つの時間軸がある。
麻生さんが代表理事を務めるNPO法人森の生活は、下川町の教育委員会や学校、保育施設と連携し、幼稚園から高校までの15年間、一貫した森林環境教育を担っている。
町内には認定こども園、小学校、中学校、商業高校が一つずつ。子どもたちは、その全期間を通して地元の森と関わり続けることになる。
発端は2006年。森の生活が認定こども園「こどものもり」にはたらきかけ、月に一度、森で過ごす「森のあそび」を始めた。翌2007年には町の森林担当課が小・中・高校で森林の授業を実施し、森の生活が講師として協力する。そして2009年、町がこれを事業化した。以来、15年一貫のプログラムとして両者の協働で続いている。
目的は、三つに整理されている。身近な自然での学びや楽しみを通じて人間的な成長を育むこと。地域の資源である森林を活かす仕事への理解を深めること。そして、森林の役割と地域の取り組みを考え、持続可能な社会に向けて自ら行動できる人を育てることだ。
設計の下敷きになっているのは、北欧発祥の「LEAFプログラム」である。森林を、生態、社会、文化、経済の四つの側面からバランスよく捉える。環境教育でありながら、経済の視点が最初から組み込まれている点が特徴だ。
学年が上がるにつれ、目標も変わる。
こども園は、自然に触れて感性を養い、たくましい身体をつくる。小学校は、森が環境・社会・経済という複数の価値を持つことを理解する。中学校は、林業・林産業の歴史と現在の取り組みを知り、町の将来を考える。高校は、地域資源の活用やSDGs・ESGの観点を踏まえ、持続可能な地域経済のあり方を探究し、提案する。
15年かけて、感性から経済へ。子どもたちの視点が、少しずつ引き上げられていく。
小学5年生の「木材の活用方法を学ぼう」では、午前中だけで林業・林産業の川上から川下までを回る。まず森で林業に従事する方による伐倒を見学し、なぜこの木が間伐されるのかを聞く。次に向かうのが、この記事にも登場する三津橋農産だ。数十分前まで森に立っていた木が、白い角材になっている。子どもたちは表面に触れ、匂いを嗅ぐ。最後に下川フォレストファミリーで、集成材やフローリング、家具になるまでの工程を見る。
川上から川下まで、すべての現場に半日で足を運べる。それが下川町の強みでもある。
「多くの子どもたちは、高校を卒業すると町外へ旅立っていく。だからこそ、在学中にふるさとの自然を体感し、地元の大人たちと出会う機会を積極的につくりたい」。森の生活のホームページには、そう書かれている。
成果を数字で測るのは難しい、と麻生さんも斎藤さんも認める。
それでも、兆しはある。中学校で「SDGsの17のゴールから、地域にとって大事だと思うものを2つ選ぼう」という授業をしたとき、すべてのグループが15番「陸の豊かさを守ろう」を選んだ。町外から招いたゲストが、他の学校ではこんなことはなかったと驚いたという。
もう一つ、象徴的な話がある。
下川小学校で使われている机と椅子は、下川フォレストファミリーが作った木製である。子どもたちの成長に合わせて高さを調節できる。
そして卒業すると、その机と椅子は工場へ戻される。表面を削り、整えられ、次に入学してくる1年生へ受け継がれるのだ。
木だから、研磨すれば何度でもよみがえる。
森の恵みを余すことなく使うという町の姿勢が、子どもが毎日使う家具にまで通っている。ここで手渡されているのは、森の知識だけではない。手を入れてメンテナンスし、使い続けるというメンテナブルな作法そのものだ。
森は60年で一回りする。人は、15年かけて育つ。
どちらも、すぐには結果の出ない仕事である。



チップに混ぜられていた広葉樹
森の恵みを取りこぼさない。その姿勢は、民間の側にもある。
麻生さんが代表を務める「下川山恵舎」は、下川に根ざした木材専門の地域商社だ。始まりは2013年、意外な入り口からだった。
フジロックフェスティバルの環境対策を担うNPOの学生たちと縁ができ、フェスで使う木製食器を下川で作るツアーを企画した。せっかくなら下川産の木を使いたい。食器なら広葉樹がいい。
ところが、乾燥させた下川産の広葉樹が、どこの工場にも存在しなかった。
山の現場で理由を聞いて、理解した。広葉樹は針葉樹と違い、畑のように計画生産できない。どの樹種がどれだけ出るかは、切ってみなければわからない。少量では、大型トラックで運んでも採算が合わない。
だから、チップに混ぜられていた。
「もったいないなと思いながら混ぜてるんだ、と」
麻生さんは使えそうな丸太を買い取り、町内にストックし始めた。ある程度まとまったら製材する。木工作家に見せると、十分使えるという。
ネックは乾燥だった。一般的な乾燥機は針葉樹向けで、同じ樹種を同じ規格で効率よく乾かす設計になっている。樹種も厚みもばらばらな広葉樹は、一緒に入れられない。
陶芸の窯に喩えるなら、一種類の土を一気に焼く窯はあるが、いろいろな土を同時に焼く窯はない、という話である。
探し当てたのが、40度の低温で時間をかけて乾かす乾燥機だった。これなら樹種が混ざっても問題ない。
NPO法人森の生活の事業として始め、木工作家数名も下川へ移住してきてくれた。板を売るだけでは利幅が薄く、やがて最終製品の受注に広がり、針葉樹の注文も入るようになった。
「これはもう商社だな」と考え、株式会社に切り出した。
ただ、麻生さんは広葉樹を扱う難しさを強調する。
需要を先に大きく作ってしまうと、供給圧が山側にかかって無理が来る。ミズナラ一つとっても、節の多いもの、曲がったもの、さまざまな丸太が出てくる。いまはナラよりクルミが多いから、こちらを使いませんか——そうやって最終製品の提案まで含めて原料を握る側がやらなければ、需給は調整できない。
町内には、FSC認証材による利休箸を製造する事業者もある。製材にならない林地残材はチッパー機で砕かれ、木質バイオマスの燃料になる。
「ゼロエミッション型の木材加工。適材適所だよと。それが下川町のスタイル」と麻生さんは言う。




ミツバチが見ている、別の景色
翌日、町内で出会った養蜂家の言葉は、ここまでの物語に別の角度から光を当てるものだった。
なかむら養蜂園の中村守一さん。和歌山を拠点に、北海道では岩見沢のアカシア、そして下川の奥地で菩提樹ーーシナノキの蜜を採っている。
「ミツバチは目が白黒なので、匂いを発するもの、温度を発するものに向かって飛んでいく。下川の奥にはその菩提樹の木がたくさんあるので、たくさんの蜂蜜を取らせていただける。森の恵みですよね」
洋蜂を使うのは、シナならシナ、アカシアならアカシアと、単花蜜として採り分けられるからだという。蜂蜜は、間違いなく下川の森林の産物である。
だが中村さんは、続けてこう語った。
「花が、めちゃめちゃ減ってますよね。温暖化で気温が上がり、昔のようには採れなくなった。間伐材、間伐材と言っているけれど、実際は木を切って出しているのが現状ですよね」
昨年はマイマイガが大量発生し、6月に幼虫が葉を食べ尽くした。アカシアの時期に木から降ってくるほどだった。7月、8月の花は壊滅した。
山形県蔵王では、同じマイマイガの食害でオオシラビソが傷み、樹氷ができなくなる問題が起きている。緯度を上げながら、同じ現象が広がっている。
ただし中村さんは、木を切るなと言っているわけではない。
「森の再生をしながら木を切るというのは、全然大丈夫だと思うんです。森の再生をしないでどんどん進めてしまうと、自分たちが困ることになる」
養蜂家自身、北海道では年に一度、蜜源対策として植樹を行っている。十勝の上士幌町では、町も一緒に応援してくれているという。


住民が、町の計画をつくる
下川町の取り組みが続いてきた理由を、蓑島さんは制度ではなく人の配置に見ている。
「2030年における下川町のありたい姿」——通称・下川版SDGsは、行政がたたき台を作らなかった。
通例なら役場が原案を示し、住民に議論してもらう。だが住民との対話から、住民がゼロベースから作る選択をした。
総合計画審議会にSDGs未来都市部会を新設し、半年以上、夜遅い時間に計13回の議論を重ねた。委員は会社経営者、NPO代表、農業者、主婦、教員、商工会青年部長など。そこに30代の役場職員が10人ほど加わった。ファシリテーターは、しあわせ経済社会研究所の枝廣淳子さん。部会長は麻生さんが務めた。
議論の途中で、委員から「自分たちだけでなく、もっと多くの住民の声を聞くべきではないか」という声が上がり、有志が休日に集まる会が自発的に生まれた。
パブリックコメントには118件の意見が寄せられた。
「普段はゼロとか数件なんですよ」と蓑島さんは驚いたように言う。
2018年、町はSDGs未来都市に選定される。そして2024年、ゴールの2030年までの中間地点で、住民主体の中間評価が行われた。
その過程で、小学6年生を「SDGs子ども町民」に任命。住民委員が7つのゴールとその課題を子どもたちに説明し、ゴールごとに分かれて一緒に解決策を考える。子どもたちは総合学習の時間でプランを練り、12月に300人規模のホールで発表した。大人たちはそれにフィードバックを返し、さらに学校へ出向いて講評した。
「議会や行政が主体なら珍しくないんですよ。町長や議員が子どもと対話するとか、住民が中心になっているところは、聞いたことがない」
2024年には、町が100%出資する一般財団法人下川地域振興機構(しもかわ財団)も設立された。代表理事は副町長。これまで取り組んできた移住策に加えて、いま住んでいる人が住み続けられることに軸足を置き、仕事のマッチングや事業承継を支える中間支援組織である。
人事の設計も独特だ。
自治体では2、3年で異動する弊害が常に指摘される。下川町は、町有林の経営に携わる「森林づくり専門員」を異動なしの特別職として2人置いている。森は長い年月をかけて責任を持って見る人がいなければ管理できない、という判断だ。
そして、外から来た人を拒まない土壌がある。かつて鉱山マチとして人の出入りが激しかった記憶が、高齢層にまだ残っているのかもしれないという。
「べったりもしないけど、突き放しもしない距離感」。移住してきた人の中にはそう話す人もいる。
ここ10年で小さな店が次々に生まれた。週末だけ開ける店も多い。株式会社、一般社団法人、NPO。自分らしく生きられる。そういう小さな事業がぼこぼこ生まれることが、持続可能性の重要な要素だと蓑島さんは考えている。










森林率90%を、暮らしへ翻訳する
本連載は、森林率という数字が暮らしへ届くための「制度」を探してきた。
第1回で取り出した回路は三つだった。職人の組織。共有林の統治機構。熱の地域自給。
下川町に、そのうち二つは明確に存在する。
熱の地域自給は、10基のボイラーと熱導管、そして4,600万円規模の削減額とその使途まで含めて機能している。共有林の統治に相当するものは、町有林と、その予算配分を住民と議会が受け入れているという社会的合意の形で存在する。
年間60億円規模の町の予算のうち、およそ1億円が森林関係に充てられる。割合としてはかなり大きいが、それに対する否定的な声はほとんど上がらないという。
森という自然資本を蓄積していくことが町の未来につながる。それが前提として共有されている。経済学者・宇沢弘文の「社会的共通資本」という概念に、最も近い実装の一つかもしれない、と麻生さんは語る。
残る一つ、職人の組織に相当するものは、まだ形になりきっていない。
製材、集成材、地域商社、木工作家、森林組合、そして森を測る新しい仕事。要素はすでに町の中に揃っている。だが、それらを一つの文化として束ね、外に向かって名乗る回路は、これからだ。
下川町の面白さは、異なる領域を横に串刺しにして接続している点にある。エネルギーと福祉。森林と教育。生物多様性と雇用。日本の行政と企業が最も苦手とする横断が、この人口約2,800人の町では自然に起きている。
一方で、課題も明確だ。
生物多様性の価値をどう測り、誰が手間賃を払うのか。担い手をどう増やし、その人たちが生きていける仕事量をどう確保するのか。そして、養蜂家が指摘した、切る量と戻す量のバランスをどう検証し続けるのか。
森は、20年、30年経たなければ結果が出ない。
「思うようにいかないのが面白いと思うんですけどね」と斎藤さんは笑った。ロールプレイングゲームなら、レベルが上がれば武器も仲間も増える。林業は、レベルが上がっても誰もメダルをくれず、時にルールごと変わる。
それでも、しつこく続ける。時間の単位が違う。
1953年に町が森を買い、翌年の台風で薙ぎ倒され、そこから植え直して70年。いま2周目の伐採が始まり、同時に「いい森とは何か」をデータで言おうとする試みが動き出している。
森林率90%は、出発点にすぎない。連載の第1回でそう書いた。
下川町が示しているのは、その出発点から先に伸びる道が、たしかに存在するということである。そして、その道がまだ途中であることも。
参考
NPO法人 森の生活
https://morinoseikatsu.org/
2025年の活動まとめ
https://morinoseikatsu.org/column/experience/14387/
下川町地域共育ビジョン特設サイトでの記事
・15年一貫の森林環境教育がもたらす子どもと大人の変化とは
https://www.town.shimokawa.hokkaido.jp/chiikikyouikuvision/interview/index2-4.html
・循環する森づくりを土台に芽吹く、森林環境教育の可能性
https://www.town.shimokawa.hokkaido.jp/chiikikyouikuvision/interview/index2-1.html
下川町 循環型森林経営について(最終更新日:2023年10月26日)
https://www.town.shimokawa.hokkaido.jp/jigyo/2020/01/post-10.html
FAQ
Q. 北海道下川町とは、どのような町ですか?
A. 北海道北部・上川地方に位置する人口約2,800人の町である。面積は644平方キロメートルで東京23区とほぼ同じ広さ。その約9割を森林が占め、森林面積の約85%は国有林である。林業と農業を基幹産業とする。
Q. なぜ下川町が注目されているのですか?
A. 木質バイオマスによる熱の地域自給、循環型森林経営、住民主体のまちづくりなどが評価され、2008年に環境モデル都市、2013年にバイオマス産業都市、2017年に第1回ジャパンSDGsアワード内閣総理大臣賞、2018年にSDGs未来都市に選定されている。
Q. 循環型森林経営とは何ですか?
A. 伐採したら必ず植え直し、一定のサイクルで森を回し続ける林業のあり方である。下川町は毎年およそ50ヘクタールを伐採・植栽し、60年でひと回りする設計を採用してきた。ドイツ発祥の「法正林思想」に基づく。
Q. 木質バイオマスボイラーの導入で、何が変わりましたか?
A. 町内10基のボイラーにより、灯油を使い続けた場合と比べて年間4,500万〜4,600万円規模の燃料費削減が生まれている。削減分の半分はボイラー更新の基金へ、残る半分は給食費の負担軽減と高校生までの医療費無料化の財源に充てられている。
Q. なぜ灯油より高いボイラーを導入できたのですか?
A. 導入時の試算では化石燃料のほうが安かった。それでも当時の町長は、灯油代は地域の外へ出ていくが、木質チップ代は原料集めや製造の仕事として地域に残ると判断した。環境だけでなく経済循環を理由とした選択だった。
Q. 「一の橋バイオビレッジ」とは何ですか?
A. 1960年代に人口2,000人を数えた集落が100人弱まで縮小し、高齢化率が5割を超えた地区に整備された集住型の住宅である。木質バイオマスボイラーの熱を住宅、しいたけ栽培施設、障害者施設へ供給する。近年は夏秋イチゴ栽培による農福連携も加わった。
Q. なぜフクロウの巣箱を設置しているのですか?
A. 苗木を食害するネズミへの対策である。FSC森林認証の基準で殺鼠剤の成分が劇薬に認定されたため、町は認証を継続し殺鼠剤の使用をやめる選択をした。その代替として、ネズミを捕食するフクロウを呼び戻す「化学的防除から生態的防除へ」の転換を進めている。
Q. 生物多様性を「測る」取り組みとは、どのようなものですか?
A. 町は産業技術総合研究所とネイチャーポジティブに関する共同研究協定を結び、鳥の鳴き声のAI解析、土壌の環境DNA調査、熟練技術者の暗黙知のAI化などの実証を進めている。将来的には、そのモニタリングを地域の新しい仕事とし、企業のTNFD開示などに活用できる仕組みの構築を目指している。
Q. 木質バイオマスの利用には、批判的な見方はありませんか?
A. ある。町内で取材した養蜂家は、花の減少、マイマイガの大量発生、豪雨時の土砂流出などへの懸念も語られた。同時に、森の再生を伴う伐採であれば問題ないとも述べている。切る量と戻す量の検証は、今後の課題である。
Q. 他の地域が下川町から学べることは何ですか?
A. エネルギー、福祉、教育、産業、生物多様性といった異なる領域を横断して設計している点である。また、森づくり専門員を異動なしの特別職として配置し、長期的な森林管理の責任を担保している人事の仕組みも参考になる。計画づくりを住民主体で進めてきた点も特徴的である。
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