
★要点
森を取り戻した方法は、ひとつではない。ネパールは、国家が抱えていた森を住民に返した。1993年の森林法が転換点となり、コミュニティに森を管理する集団的権利が与えられた結果、1992年に26%まで落ち込んでいた森林率は、2016年には45%まで回復した。国家が単独では管理しきれなかった約300万haを、住民が保護し、植え、管理した。韓国は、国家が動員した。戦後の荒廃地を復旧させた記録は、2025年にユネスコ「世界の記憶」に登録され、いま国土の約63%を森林が占める。これは世界平均31%の2倍を超え、OECD加盟国中4位である。ブータンは、憲法で守った。国土の60%以上を恒久的に森林被覆下に維持することを政府に義務づけ、実際の森林被覆は71%を超える。返す、動員する、守る。三つの道は、いずれも「木の本数」ではなく、人々の暮らしの側で成否が決まっていた。
★背景
第1回で見た欧州は、森を「持ち続けてきた」地域だった。対してアジアは、いったん失った地域が何をしたかの記録である。20世紀後半、アジアの多くの国で森は急速に減った。原因は共通している。薪を採り、家畜を放し、農地を広げ、戦争で焼いた。つまり森林減少は、環境問題である以前に、暮らしのエネルギーと食料の問題だった。だからこそ回復も、暮らしの側から起きるしかない。木を植えるだけでは足りない。植えた木が生き残る条件——薪を採りに来ない理由、家畜を入れない仕組み、森を守ることが得になる制度——をつくれるかどうか。三国の記録は、そこを繰り返し指し示している。
森林率が上がった、というニュースはあまり響かない。
森が減ったという報せは衝撃を伴うが、増えたという話は数字の変化としてしか届かない。
だが20世紀後半から今日にかけて、アジアには森を大幅に回復させた国がいくつもある。
しかも、その方法は驚くほど違う。
ネパールは、権利を住民に手放した。
韓国は、国家が総動員をかけた。
ブータンは、憲法に書き込んだ。
返す。動員する。守る。
三つとも成功例として語られる。
だがそれぞれの内側を覗くと、成否を分けたのは植えた木の本数ではなかった。
人々が、何で煮炊きし、何を売り、どう暮らしていたか。
森の話は、いつも暮らしの話に着地する。
① ネパール|国家が、森を手放した
まず、危機の深さを確認しておきたい。
1960年代には、国土のほぼ半分を森が覆っていた。だが1992年には、その広がりは26%まで落ちていた。
30年で、半減である。
1970年代、ネパールは環境危機に直面していた。丘陵地帯の森は家畜の放牧と薪の採取によって劣化し、洪水と地滑りの増加を招いていた。1979年の世界銀行の報告書は、大規模な植林プログラムがなければ、丘陵地の森は1990年までにほぼ消滅すると警告している。
そして転換点が来る。
1993年の森林法。これは、コミュニティに地域の森を管理する集団的な権利を与えるものだった。
この法律により、ネパールの森林官は国有林をコミュニティ・フォレスト・グループへ引き渡せるようになった。
国家が、森を手放した。
結果は明確だった。
2016年までに森林率は45%へ回復。国家が単独では管理しきれなかった約300万haを、コミュニティが保護し、植え直し、管理した。
ここで重要なのは、回復の仕方である。
「コミュニティが積極的に森を管理し始めると、森は主に自然の再生によって戻ってきた」と、NASAの土地被覆変化プロジェクトの主任研究者は述べている。
植えたから戻ったのではない。守ったから、勝手に戻った。
1993年の森林法以前、政府による森林管理は活発ではなかった。人々は依然として森を使っていたが、積極的に管理することは許されておらず、そうする動機もなかった。結果として森は家畜に過度に食まれ、薪のために採り尽くされ、劣化していった。
使う権利はないが、使われている。守る責任もないから、誰も守らない。
典型的な「共有地の悲劇」である。
そこを、権利の付与で解いた。
コミュニティ・フォレスト管理のもとでは、地域の森林官がグループと協働して管理計画をつくった。人々は果実、薬草、飼葉といった資源を採り、林産物を売ることができた。その一方でグループは放牧や伐採をしばしば制限し、薪の採取に上限を設けた。メンバーは森を巡回し、守られているかを確認した。
使わせる。ただし、ルールは自分たちで決める。
守れば自分たちの利益になる。だから守る。
ある共同林の例が象徴的だ。
カブレパランチョーク東部にあるデヴィタン(ネパール語で「聖なる森」)と呼ばれる共同林は、1988年には森林被覆率が12%しかなかった。それが2016年には92%まで増えている。
12%から92%へ。
しかも興味深いことに、この森が正式に共同林として認定されたのは2000年だったが、コミュニティは1993年の森林法のあと、非公式な管理グループを組織していた。森林官が正式に認定する前に、全体の再生の約25%がすでに起きていた。
制度が動く前に、人が動いていた。

ネパールの陰影|「森は戻った。では、次は?」
だが、話はここで終わらない。
現在、ネパール全土には23,000を超えるコミュニティ・フォレスト・ユーザーグループ(CFUG)が存在する。地域のリーダーシップがあり、資源を公平に使うための仕組みがあり、女性が可視化され権限を得てきた。
だがRECOFTC(アジア太平洋の地域林業機関)ネパール事務所のカントリーディレクター、スダ・カドカ氏は、2026年2月に公開した論考で、この制度が「重大な岐路」にあると書いている。
成功が、新しい問題を生んだ。
多くの共同林で木が育ち、収穫の時期を迎えている。だが行政的・規制的な障壁により、コミュニティが木材を伐り、運ぶことが難しい。また多くのCFUGが、森林事務所の技術支援を待って運営計画を更新できずにいる。滞りが解消されるまで、必要な法的書類を欠いたまま管理を続けることになる。
さらに、経済の問題がある。
多くの共同林は面積が小さく、林産物を生産しても管理コストを賄えない。復元した森から利益を得られず、経済的な可能性にアクセスできなければ、コミュニティの熱意は自然と冷めていく。
そして、最も重い問題。
ネパール各地で、若者が国内外の都市へ働きに出ている。縮小し高齢化する農村の労働力は、森林管理という骨の折れる仕事に、かつてほど積極的ではない。農村コミュニティ自体も、森への依存を弱めている。海外からの送金を受け取り、薪のかまどを使わなくなり、飼葉を必要とする家畜を飼わなくなった。
ここは、深く考える価値がある。
森を守る動機が、暮らしの必要から生まれていた。
薪が要る。飼葉が要る。だから森を守る。
その必要が消えたとき、守る理由も一緒に消える。
一部のCFUGは年次総会を開かなくなった。メンバーがもう村に住んでいないために機能していないグループもある。
カドカ氏の結論は明快だ。
第一世代のコミュニティ林業は、森林の回復、社会的包摂、住民のエンパワーメントという目覚ましい成果を上げた。だがいま、第二世代——「コミュニティ・フォレストリー2.0」——を築かなければならない。若者を巻き込むことが最も重要な課題である。なぜなら、森を管理する次の世代がいなければ、待っているのは民営化か、国家管理への回帰だからだ。そして政府だけでネパールの森を管理することはできない。
森を戻すのに30年かかった。
その仕組みを維持するのに、また別の設計がいる。
メンテナンスとは、そういうものである。

② 韓国|国家が、総動員した
方法がまるで違うのが、韓国だ。
朝鮮戦争後の国土は、荒れていた。
山肌が露出し、雨が降れば土砂が流れ、洪水が起きる。木は燃料として伐り尽くされていた。
そこから、数字はこう動く。
1972年の森林蓄積は、1ヘクタールあたり10㎥。
それが2020年には165㎥に達した。1953年の29倍である。
OECD平均の131㎥を上回る水準だ。
森林率も、1953年の約35%から大きく伸びた。
現在、韓国では国土の約63%を森林が占める。これは世界平均31%の2倍以上で、OECD加盟国中4位にあたる。
1973年から87年にかけて植えられた木は、110億本にのぼる。
数字だけを見れば、圧巻の成功譚である。
2025年4月、韓国の森林復旧記録がユネスコの「世界の記憶」に登録された。
「韓国緑化記録:官民ガバナンスによる緑化モデル」と題されたこの記録群は、法令、公文書、写真、映像、切手など9,619点からなり、朝鮮戦争で荒廃した国土を政府と国民の共同の努力によって復旧させた国家造林計画を記録している。
記録には、造林台帳、政策文書、セマウル運動(新しい村づくり運動)の一環としての樹木育成記録、航空写真、洪水防止関連資料などが含まれる。緑化の過程だけでなく、山火事や地滑りへの対応を含む環境管理の全体系を網羅している点が評価された。

韓国の芯|木を植えても、森は戻らなかった
ここからが、この連載でいちばん書きたかった部分だ。
1950年代、韓国でも植林は行われていた。
だが、植えた木の生存率は、しばしば50%を下回った。
半分以上が、死んだ。
その原因は、山にはなかった。
暮らしの側にあったのである。
韓国の伝統的な住居には、オンドルと呼ばれる床下暖房がある。
床下に煙道を通し、焚いた熱で部屋全体を温める。優れた仕組みだが、燃料を必要とする。
そしてその燃料は、歴史的にバイオマス——つまり薪だった。
冬は寒い。暖を取らなければ生きられない。
山に木が植えられていようと、目の前に燃料がなければ、人は木を伐る。
劣化した森に、さらに圧力がかかる。
植える端から、燃やされる。
この構図を断ち切ったのが、燃料転換だった。
薪から、練炭へ。
石炭を加工した練炭が家庭に普及したことで、村人は薪を採りに山へ行く必要がなくなった。
木を植えたから森が戻ったのではない。暮らしの燃料が変わったから、森が戻った。
第1回で取り上げた欧州の事例——林業残材による熱の地域自給——とは、まったく逆方向の話である。
片方は森の恵みで熱を賄い、片方は森から熱の需要を切り離した。
だが構図は同じだ。
熱をどう賄うかが、森の運命を決めている。
これは現在進行形の論点でもある。
バイオマス発電のために森林を伐採すれば、脱炭素と森林保全が衝突する。何を燃やすかの選択は、いまも国土の姿を決めている。

韓国の留保|「成功」の条件を、明示しておく
ただし、この成功には条件がある。
大規模な植林と燃料転換が実行された1970年代、韓国は朴正煕政権下にあった。
権威主義的な体制のもとでの、国家的な動員だった。
村ごとに割り当てが決められ、住民が動員される。
反対の余地は小さい。
現在の民主的な社会で、同じ手法をそのまま再現することはできないだろう。
そして、韓国のこの成功が一直線ではなかったことも記録されている。
2026年に環境管理分野の学術誌『Environmental Management』に掲載された研究は、1953年から2020年までの9,000点を超える記録と国家林業統計を分析し、韓国の森林復旧を再解釈している。この研究が注目したのは、包括的な国家計画や強い行政能力だけではない。繰り返された植林の失敗を、どう乗り越えたかという点だった。
研究が提示するRPDCAという枠組みは、植林前の研究(Research)、根拠にもとづく計画(Plan)、強い行政と地域参加に支えられた厳格な実施の重要性を強調している。
1973年以前は、試行錯誤の時期だった。
何度も失敗し、原因を調べ、条件を変え、また試した。
つまり——観測し、診断してから、植えた。
いきなり110億本を植えたわけではない。
その前に、なぜ木が枯れるのかを突き止める20年があった。
③ ブータン|憲法が、森を守った
三つめの国の答えは、最も明快だ。
ブータンの2008年憲法は、国土の少なくとも60%を恒久的に森林被覆下に維持することを、政府に義務づけている。
森林率の下限を、憲法に書く。
政権が交代しても、変えられない。
実際の森林被覆は71%を超え、国土の約51%が法的に保護されている(森林率は出典と年次により71〜75%の幅で報告される)。
世界銀行の記述によれば、多くの国が残された森林を守ることに苦労するなかで、ブータンの森林被覆は驚くほど安定しており、近年はむしろ増加している。同国は世界で唯一のカーボンネガティブな国とされる。
森を守るという意思を、法体系の最上位に置く。
制度設計としては、これ以上ないほど強力だ。

ブータンの逆説|森林率71%で、木材を輸入している
だが、この記事でお伝えしたいのは、次の事実である。
世界銀行のチームがブータン農林省と協働して行った分析によれば、同国の林業部門は経済において重要でありながら十分に活用されておらず、GDPへの寄与は年間わずか2%程度にとどまる。さらに、商業的な管理下にある森林はわずか7.3%で、ブータンは林産物の純輸入国である。
森林率71%の国が、木材を輸入している。
守ることには成功した。
だが、暮らしと産業につなげることには、まだ届いていない。
これは非難ではない。
保護を最優先する国家戦略の、必然的な帰結である。
だが第1回の主題——森林率は面積の話であって、暮らしの話ではない——を、これほど純粋に証明する事例もないだろう。
森があることと、森が地域を養うことは、別の問題だ。
世界銀行は、持続可能な森林管理の原則を生産林に十分に適用し、部門を近代化すれば、生産性を高め、生態系の回復力も改善できると指摘している。雇用機会を増やし、森林由来の事業を生み、木材や非木材林産物の市場ベースの取引へ移行する道もある、と。
守るだけでは、次の世代が森に関わる理由が生まれにくい。
ネパールが直面している問題と、実は根が同じである。

三つの答えが、指している同じ場所
三つの国の取り組みを並べてみる。
①ネパールは「返した」
権利を住民に渡し、守る動機をつくった。森は戻った。だが暮らしが森から離れたいま、動機そのものが薄れつつある。
②韓国は「動員した」
国家が号令をかけ、110億本を植えた。だが決定打は植林ではなく、燃料転換だった。そして成功の背景には、権威主義的な体制という条件があった。
③ブータンは「守った」
憲法に書き、保護区を広げた。森林率は71%を超える。だが林業のGDP寄与は2%で、木材は輸入している。
方法は三者三様。
だが問いは、どれも同じところへ帰ってくる。
その森は、そこに住む人の暮らしと、どうつながっているのか。
つながりが強すぎれば、森は消費される。かつてのネパールであり、戦後の韓国だった。
つながりが切れれば、森は守られるが、関わる人がいなくなる。いまのネパールであり、ブータンでもある。
強すぎず、弱すぎず。
適度に手を入れ、恵みを受け取りながら、維持する。
日本語には、この状態を指す言葉がある。
「里山」だ。
人が関わり続けることによって保たれてきた生態系。
日本の主題は、おそらくそこにある。
数字の読み方について
最後に、実務的な注意をひとつ。
この記事で挙げた森林率や面積の数値は、出典と年次によって振れる。
ブータンの森林被覆が71〜75%の幅で報告されるように、統計の定義や測定年が違えば結果も変わる。
森林の定義自体、国によって異なる。
樹冠がどれだけ覆っていれば「森」なのか。竹林は含むのか。伐採直後の裸地は「一時的に木がない森林」として数えるのか。
だから、国際比較の数字は常に幅を持って読む必要がある。
そしてもうひとつ。
森林率が上がったことと、森の質が上がったことは同じではない。
単一樹種の人工林が広がると、面積の数字は増える。だが生物多様性や、水を蓄える力や、災害への強さは、面積では測れない。
面積から、状態へ。
自然を測る技術の議論は、いままさにその移行の途上にある。
森を回復させた国は、何を行ったのか。
その問いに答えるには、数字の先にある暮らしを見なければならない。
次回、第3回は南米編。
森林減少の最前線と、そこで進む別の実験を追いたいと思う。
参照
【ネパール】
「It is time to reboot community forestry in Nepal」(RECOFTC/2026年2月27日、Sudha Khadka)
https://www.recoftc.org/nepal/stories/it-time-reboot-community-forestry-nepal
「How Nepal Regenerated Its Forests」(NASA Earth Observatory)
https://science.nasa.gov/earth/earth-observatory/how-nepal-regenerated-its-forests-150937/
【韓国】
韓国山林庁 英語版「Korean Forests at a Glance」
https://english.forest.go.kr/kfsweb/kfi/kfs/cms/cmsView.do?cmsId=FC_001679&mn=UENG_01_03
「Reexamining Korea’s successful forest restoration through the revised PDCA framework」(Springer Nature/Environmental Management、2026年)
https://link.springer.com/article/10.1007/s00267-025-02369-x
「Policies[Public admire-stration] ④ Reforestation creates green miracle」(Korea.net、2026年)
https://www.korea.net/NewsFocus/policies/view?articleId=289902
【ブータン】
「Investing in Bhutan’s forests for a sustainable future」(World Bank Blogs、2019年)
https://blogs.worldbank.org/en/endpovertyinsouthasia/investing-bhutans-forests-sustainable-future
ブータン王国憲法/在デリー・ブータン大使館
https://www.mfa.gov.bt/rbedelhi/bhutan-at-glance/environment/
FAQ
Q. ネパールの森林率は、どのように回復したのですか?
A. 1993年の森林法により、コミュニティに森を管理する集団的権利が与えられたことが転換点となった。1992年に26%だった森林率は、2016年には45%まで回復している。
Q. ネパールでは、植林によって森が戻ったのですか?
A. 主に自然の再生によるものだった。放牧や伐採、薪の採取をコミュニティ自身が制限し、巡回して守ったことで、木が自然に育ち直した。低標高の一部地域では植林も行われている。
Q. 「コミュニティ・フォレストリー2.0」とは何ですか?
A. RECOFTCが提起する第二世代の構想である。第一世代は森林回復と住民のエンパワーメントを達成したが、若者の流出や規制の壁、経済的自立の難しさに直面しており、次の世代の担い手を育てる仕組みが必要とされている。
Q. 韓国の森林はどこまで回復したのですか?
A. 1972年に1ヘクタールあたり10㎥だった森林蓄積は、2020年には165㎥に達した。森林率は現在約63%で、これは世界平均の2倍以上、OECD加盟国中4位にあたる。
Q. 韓国の回復で、決定的だった要因は何ですか?
A. 植林そのものよりも、家庭の燃料が薪から練炭へ転換したことが大きかった。1950年代には植えた木の生存率がしばしば50%を下回っており、暮らしの側の燃料需要が森への圧力になっていた。
Q. 韓国の事例を、そのまま他国に適用できますか?
A. 慎重な検討が必要である。1970年代の大規模な植林は権威主義体制下の国家的動員によるものだった。また1973年以前は試行錯誤の時期であり、失敗の原因を調べ直す期間があったことも記録されている。
Q. ユネスコに登録されたのは、どのような記録ですか?
A. 2025年、韓国の緑化記録が「世界の記憶」に登録された。法令、公文書、写真、映像、切手など9,619点からなり、朝鮮戦争で荒廃した国土を官民の協働で復旧させた過程を記録している。
Q. ブータンはどのように森を守っているのですか?
A. 2008年憲法が、国土の少なくとも60%を恒久的に森林被覆下に維持することを政府に義務づけている。実際の森林被覆は71%を超え、国土の約51%が法的に保護されている。
Q. なぜ森林率71%のブータンが木材を輸入しているのですか?
A. 商業的な管理下にある森林が7.3%にとどまるためである。林業部門のGDP寄与は年間約2%で、世界銀行は持続可能な森林管理の原則を生産林に適用することで生産性を高められると指摘している。
Q. 三つの事例に共通する教訓は何ですか?
A. 森の運命は、そこに住む人々の暮らしとの関係で決まるという点である。依存が強すぎれば森は消費され、関係が切れれば守る担い手がいなくなる。面積の数字だけでは、森の持続性は測れない。
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