★ここが重要!

★要点
立教大学は、青森県立美術館開館20周年記念展「装飾する魂 ユーロ=アジア世界をつなぐ文様の宇宙――縄文、ケルトから、ねぶたまで」に全面的に学術協力する。立教大学図書館所蔵のケルト装飾写本『ダロウの書』『ケルズの書』『リンディスファーンの書』の複製本を出品し、池袋キャンパスでは公開講演会「ホモ・オルナートゥス(飾る人)の発見」も開催する。縄文土器、北方民族の文様、ケルト装飾、ねぶたを横断し、人間はなぜ飾るのかを問い直す文化プロジェクトである。
★背景
装飾は、単なる飾りではない。人間が世界を感じ、記憶し、祈り、共同体をつくり、自然や死者や神話と向き合うための表現だった。縄文の渦巻き、北方民族の文様、ケルト写本の複雑な線、青森ねぶたの光と色は、遠く離れた時代や地域にありながら、人間の身体感覚と想像力を深く共有している。効率、機能、ミニマルデザインが重視される現代だからこそ、過剰に飾ること、文様を刻むこと、身体ごと表現することの意味が再び問われている。装飾は、文化をメンテナンスし、地域の記憶を未来へ運ぶ技術でもある。

人間はなぜ飾るのか。土器に渦を刻む。衣服に文様を縫う。写本の余白を埋める。祭りの灯りを大きく膨らませる。実用だけなら、そこまでの装飾はいらない。だが、人は飾ってきた。縄文、ケルト、北方民族、ねぶた。遠く離れた文化の中に、同じように“飾らずにはいられない魂”がある。青森県立美術館の開館20周年記念展「装飾する魂」に、立教大学が全面的に学術協力する。そこにあるのは、美術史だけではない。人間の身体、地域の記憶、自然との交感、そして暮らしの奥に眠る創造性である。

装飾は、余分なものではない

装飾という言葉には、どこか軽く見られる響きがある。
必要な機能に、あとから足すもの。見た目を良くするもの。華やかにするもの。余白を埋めるもの。現代の効率社会では、装飾はしばしば“余分”と見なされる。
だが、本当にそうだろうか。
人類の歴史を見れば、装飾はむしろ根源的な行為だった。身体を飾る。道具を飾る。住まいを飾る。土器を飾る。衣服を飾る。墓を飾る。祭りを飾る。人は、ただ生きるだけではなく、生きる意味を文様や色や形に込めてきた。
縄文土器の文様は、鍋としての機能だけなら不要に見える。だが、あの渦巻きや隆起した線には、自然への感覚、時間への意識、共同体の記憶が宿っている。ケルト装飾写本の複雑な線も、文字を読むだけなら過剰だ。だが、その過剰さが、聖なる世界への入口になる。ねぶたの巨大な色彩と光も、生活に必要な道具ではない。だが、地域の身体を動かし、街を熱くし、記憶を次世代へ渡す。
装飾とは、意味をまとわせる技術である。
実用を超えたところに、人間の深い欲望がある。美しくしたい。祈りたい。守りたい。語り継ぎたい。見えないものを形にしたい。誰かと一緒に祝いたい。装飾は、その欲望を形にする。
つまり、装飾は余分ではない。
人間が人間であるための、根源的な表現である。

縄文、ケルト、北方民族、ねぶた…遠い文化をつなぐ文様

今回の展覧会タイトルは「装飾する魂 ユーロ=アジア世界をつなぐ文様の宇宙――縄文、ケルトから、ねぶたまで」である。
この並びが面白い。
縄文。ケルト。北方民族。ねぶた。時代も場所も違う。宗教も生活環境も違う。だが、そこには文様、身体、自然、祈り、祭りという共通する軸がある。
縄文土器には、渦巻きや縄目、立体的な装飾がある。北方民族の文様には、動物、自然、精霊、暮らしの知恵が織り込まれる。ケルト装飾写本には、絡み合う線、渦、動物、植物、文字の変形があふれる。ねぶたには、武者、神話、物語、光、紙、色彩、身体の熱がある。
いずれも、ただ“見る”ためだけの装飾ではない。
触れる。まとう。運ぶ。踊る。祈る。使う。灯す。人間の身体と深く結びついている。装飾は、壁に飾られる前に、生活の中にあった。器に刻まれ、衣に縫われ、祭りで担がれ、声と音とともに動いていた。
だから、装飾を考えることは、生活文化を考えることでもある。
現代では、デザインとアート、工芸と民俗、祭りと観光、学術と暮らしが分断されがちだ。だが、装飾の世界では、それらは簡単に分けられない。文様は美術であり、道具であり、信仰であり、記憶であり、地域の身体である。
遠く離れた文様をつなぐことで、私たちは「文化とは何か」をもう一度見直すことができる。

ホモ・オルナートゥス——人間は“飾る人”である

立教大学池袋キャンパスでは、公開講演会「装飾する魂—『ホモ・オルナートゥス(飾る人)』の発見」が開催される。
ホモ・サピエンスは、知恵ある人。
ホモ・ファーベルは、つくる人。
そしてホモ・オルナートゥスは、飾る人。
この言葉は、人間理解を少し変える。
人間は、道具をつくるだけの存在ではない。合理的に考えるだけの存在でもない。自分の身体や道具や空間に意味をまとわせ、世界を文様化し、見えないものを見える形へ変える存在である。
講演会には、展覧会監修を務める芸術人類学者の鶴岡真弓氏、青森県立美術館の高橋しげみ氏、北海道立北方民族博物館の笹倉いる美氏が登壇する。テーマは、北に想う装飾する魂、北方諸民族のうずまき文様、ユーロ=アジア世界と福音書写本『ケルズの書』。いずれも、装飾を美術作品としてだけでなく、人類の営みとして見ようとする視点だ。
飾ることは、軽い行為ではない。
自分と世界の関係を結び直す行為である。
自然を読み、形にする行為である。
共同体の記憶を続ける行為である。
死者や神話や精霊と向き合う行為である。
現代人は、無地の空間、無駄のないデザイン、効率的な生活に慣れている。だが、心のどこかでは、色や文様や祭りを求めている。なぜなら、人間は“飾る人”でもあるからだ。

青森県立美術館と立教大学がつくる、学術と地域の往復

今回のプロジェクトは、展覧会への資料貸出だけでは終わらない。
立教大学は、青森県立美術館開館20周年記念展に全面的に学術協力する。立教大学図書館が所蔵する『ダロウの書』『ケルズの書』『リンディスファーンの書』の複製本3点を青森県立美術館へ出品する。さらに、池袋キャンパスと青森県立美術館の双方で講演会、展示、ワークショップ、パフォーマンスを展開する。
これは、大学と美術館の関係としても興味深い。
大学は知を蓄積する場所である。美術館は作品や資料を展示し、社会へ開く場所である。地域は、その知と表現が根を下ろす場所である。今回の取り組みでは、その三つが往復する。
池袋では、公開講演会や「立教×縄文×青森」展が開かれる。青森県域から出土した縄文土器や、装飾を持つ縄文土器が展示される。学生向けには、土器片そっくりのクッキー“ドッキー”づくりワークショップも行われる。青森では、ケルト装飾写本の複製本が展示され、立教大学教員による「土偶マイム」も上演される。
学術が、少しやわらかくなる。
美術が、少し身近になる。
地域文化が、東京と青森を行き来する。
知識は、論文や展示室だけに閉じる必要はない。講演になる。ワークショップになる。マイムになる。クッキーになる。そうやって身体を通ることで、文化は次の世代へ届く。
文化のメンテナンスとは、保存だけではない。
触れる機会をつくることだ。
笑える入口をつくることだ。
東京と地域のあいだに往復路をつくることだ。

ねぶたは、光る装飾であり、地域の身体である

青森のねぶたは、装飾である。
紙、骨組み、光、色、物語、音、声、身体。巨大な造形が夜の街を進む。見るだけではない。跳ねる。囃す。押す。担う。集まる。祭りは、地域の身体を動かす。
ねぶたを美術館で扱うことには、意味がある。
祭りは本来、展示室の中で完結しない。街で動く。人の熱を帯びる。季節と結びつく。だが、美術館で見ることで、文様、色彩、造形、物語、技術、地域史としての側面が立ち上がる。祭りとして体験していたものを、装飾文化として読み直すことができる。
縄文土器も同じだ。
考古資料として見ることもできる。だが、装飾の視点で見れば、人間の手が土に込めたリズム、自然への感覚、身体の動きが見えてくる。ケルト写本も、宗教資料でありながら、線の迷宮として見ることができる。北方民族の文様も、衣服や道具の装飾であると同時に、生きる土地との関係を示す記号である。
装飾は、地域を抽象化しない。
むしろ、地域の具体性を濃くする。
青森の風土。北方の暮らし。縄文の土。ケルトの写本文化。ねぶたの熱。これらを一つの展覧会で横断することで、装飾は「きれいな模様」から「人間と土地の関係」へ広がっていく。

企業理念は、音楽にも、文様にもなる

装飾を考えることは、現代の企業や地域ブランドを考えることにもつながる。
企業理念は、言葉として掲げられる。だが、言葉だけでは届きにくい。理念が本当に社会に伝わるには、ロゴ、色、空間、音楽、映像、制服、商品、店舗、祭り、体験へ変わる必要がある。理念は、形を持ったときに人の記憶へ入る。
つまり、企業理念もまた、装飾される。
それは表面的に飾り立てるという意味ではない。理念を、身体で感じられる形に翻訳するということだ。音楽になる。文様になる。空間になる。道具になる。地域のイベントになる。人が集まる場になる。
縄文の文様やねぶたの光が、共同体の記憶を運んできたように、現代の企業や地域もまた、自分たちの価値をどう表現するかを問われている。サステナブル、地域共生、ネイチャーポジティブ、循環経済。どれも大切な言葉だ。だが、言葉だけでは暮らしに残りにくい。
人は、理念を読むだけではなく、感じたい。
だから、現代にも装飾が必要になる。
ただし、見せかけの装飾ではない。
価値を身体化する装飾である。
地域の祭り、企業のロゴ、ホテルの空間、商品のパッケージ、まちのサイン、イベントの音楽。これらは、単なる見た目ではない。価値観を社会に流通させるメディアである。
装飾する魂は、古代だけのものではない。
現代のブランドや地域づくりにも息づいている。

文化をメンテナンスするとは、魂の置き場所をつくること

文化は、放っておけば続くものではない。
土器は発掘されなければ見えない。写本は保存されなければ失われる。祭りは担い手がいなければ続かない。文様は読み解く人がいなければ、ただの模様になる。地域の記憶は、語る場所がなければ薄れていく。
だから、文化にもメンテナンスがいる。
青森県立美術館の展覧会、立教大学の学術協力、池袋キャンパスでの講演会、縄文土器展示、ドッキーづくり、土偶マイム。これらは一見、ばらばらに見える。だが、共通しているのは、文化の入口を増やすことだ。
本格的に学ぶ人もいる。
展覧会で初めて知る人もいる。
クッキーづくりで興味を持つ学生もいる。
マイムで笑いながら土偶を感じる人もいる。
ねぶたから文様の宇宙へ入る人もいる。
入口が多い文化は、強い。
装飾は、魂の置き場所をつくる。祈り、記憶、土地、共同体、物語、身体の動き。それらを形にして、次の人へ渡す。だから、装飾することは、文化を未来へ送る行為でもある。
現代社会は、速い。便利で、合理的で、均質になりやすい。だが、人間はそれだけでは満たされない。土地に触れたい。模様を読みたい。色に驚きたい。祭りで体を動かしたい。過去とつながりたい。
人間は、飾る。
飾ることで、世界を自分たちのものにしてきた。
飾ることで、見えないものに触れてきた。
「装飾する魂」は、その古くて新しい人間の力を思い出させる。縄文、ケルト、北方民族、ねぶたをつなぐ文様の宇宙は、過去の展覧会ではない。これからの暮らし、地域、企業、文化をどう豊かに飾り直すかを考えるための入口である。

FAQ

Q. 「装飾する魂」とはどんな展覧会か。
A. 青森県立美術館開館20周年記念展で、正式名称は「装飾する魂 ユーロ=アジア世界をつなぐ文様の宇宙――縄文、ケルトから、ねぶたまで」である。縄文、ケルト、北方民族、ねぶたなどを横断し、人間の装飾表現を文化人類学的・美術史的に読み解く展覧会である。

Q. 立教大学はどのように協力しているのか。
A. 立教大学は同展に全面的に学術協力し、立教大学図書館所蔵のケルト装飾写本『ダロウの書』『ケルズの書』『リンディスファーンの書』の複製本を出品するほか、池袋キャンパスで公開講演会や関連展示を実施する。

Q. 「ホモ・オルナートゥス」とは何か。
A. ラテン語的な表現で「飾る人」を意味する。人間を、道具をつくる存在、知恵ある存在としてだけでなく、身体、道具、空間、記憶、祈りを装飾する存在として捉える考え方である。

Q. なぜ縄文とケルトとねぶたがつながるのか。
A. 時代や地域は異なるが、渦巻き、文様、色彩、身体性、祈り、共同体、祭りといった共通点がある。装飾を通じて、人間が自然や神話、地域の記憶とどう向き合ってきたかを比較できる。

Q. 装飾は現代のライフスタイルや企業文化とどう関係するのか。
A. 装飾は単なる見た目ではなく、価値観や記憶を身体で感じられる形にする表現である。現代の企業理念、地域ブランド、空間デザイン、祭り、商品パッケージ、音楽なども、広い意味では理念や文化を装飾する行為といえる。

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