日本資本主義の生みの親と呼ばれる、渋沢栄一。幕末から明治にかけて類まれな活躍を見せ、近代日本の夜明けから設立に関わった企業数は約500社と言われている。そんな現在の日本にとって欠かせない大巨人の渋沢栄一だが、その身長は152cmと、驚くほど小柄だった。現在、その全身の容姿に触れられる像は、東京都の中に3体あると言われている。

北区の飛鳥山公園内旧渋沢邸庭園内に建つ渋沢栄一像

渋沢栄一の姿を今に伝える3体の銅像

渋沢栄一の全身像は東京都内に3か所現存している。板橋区の東京都健康長寿医療センター、北区の飛鳥山公園内旧渋沢邸庭園、そして中央区の常盤橋公園だ。特に常盤橋公園の銅像は、戦争中に撤去された後、再制作され1955年に再設置されたものだ。
飛鳥山公園に現存する晩香盧(洋風茶室)と青淵文庫(書庫)は、文化財に指定されている。これらは渋沢栄一記念財団が管理し、一般公開もされている。

飛鳥山公園に現存する晩香盧

渋沢栄一が生んだ大きな経済の仕組み。
意外に知られていない、ノーベル平和賞候補。

渋沢栄一は「合本主義」を掲げ、日本に銀行、保険、物流といった基幹産業を築いた。彼が設立した第一国立銀行は、日本の金融システムを根底から変える契機となった。さらに、製紙や紡績といった新興産業を日本に定着させ、ガスや電力、鉄道といったインフラ事業にも多大な貢献をした。
また、渋沢が注目したのは、経済活動における道徳の重要性だ。晩年に執筆した『論語と算盤』は、「道徳と経済の融合」という普遍的なテーマを提唱した著書であり、現在も多くの人々に読み継がれている。
そんな渋沢栄一は1926年と1927年、ノーベル平和賞の候補として名を挙げられた。特に注目すべきは1922年、アルメニア難民救済に尽力したことだ。渋沢は自ら募金活動を行い、集まった資金をアメリカの慈善団体に寄付し、その支援は多くの難民を救った。
また、第一次大戦後には国際連盟の平和維持活動を支持し、日米親善にも積極的に取り組んだ。彼が主導した「人形親善交流」は、日米間の文化交流の象徴的なプロジェクトとして高く評価されている。

新一万円札に込められた思いとは?

2024年、新一万円札の肖像が福沢諭吉から渋沢栄一に変更された。このデザイン変更には未だに馴染めないという声も聞かれるが、この渋沢栄一の選定には、渋沢が遺した経済と道徳の調和という理念が反映されていると言われている。彼の業績は、現代日本の経済、教育、福祉、文化の基盤となり、その影響は今も続いているからだ。
渋沢の人生は、単なる歴史的偉人の話ではなく、現代社会が向き合うべき課題を浮き彫りにしている。彼が築いた「経済と道徳の融合」という理念は、地球サイズの気候変動や飢餓、大国による近隣国への戦争侵略など、現在の日本や世界にとって実に重要な示唆を投げかけているとは言えないだろうか。身の丈に合った人間の生き方を考え直せ、そんな言葉が彼の口から聞こえてくるような気もする…。