
★要点
食料生産を「環境」「生産」「消費」の三者で捉え直し、生物多様性評価と成分解析を軸に“価値循環”まで設計する——九州大学が提言した「ONE-アグリシステム」は、農業の脱炭素を“我慢”ではなく“選べる価値”へ変える構想だ。
★背景
2050年に向けて食料需要は増える一方、食料生産自体が温室効果ガス排出の大きな担い手でもある。量と持続性を同時に満たすには、環境負荷と品質・経済価値の関係を「測れて、語れて、売買できる」状態へ押し上げる必要がある。
食料の未来は「増産か、環境か」という二択ではない。問われているのは、環境の健全性が味や品質、ブランド価値にどう跳ね返り、消費行動が生産現場へどう戻っていくのか——その往復運動を、データで“観測可能”にする力である。九州大学が公表した提言は、食の課題を「技術」ではなく「因果関係の設計」として捉え直す。名前は「ONE-アグリシステム」。2050年の食と地域を、もう一度編み直す試みだ。
増える需要、減らせない排出。食料システムは“量と持続性”の同時試験に入った
提言がまず突きつけるのは、世界の食料需要が2050年に向けて2020年比で約1.3倍へ増えるという現実だ。同時に、農業・森林・土地利用分野が人為起源温室効果ガス排出の約22%を占めるという事実も重い。食料は守るべきライフラインでありながら、地球環境の圧力そのものにもなっている。
この矛盾を放置すれば、干ばつや洪水、高温化による収量不安定が常態化し、供給の“当たり前”が崩れていく。提言は、食料安全保障と脱炭素の接続を、理念ではなく実装のテーマとして扱っている。
「大規模化・分散化・高密度化」——未来の生産は一つに収れんしない
未来の食料生産は、社会構造と技術革新に合わせて「大規模化」「分散化」「高密度化」という三方向に展開し、共存していくという整理が提示される。大量供給を支える大規模化、地域資源と文化に根ざす分散化、都市や閉鎖環境での高密度化。重要なのは、どれが正解かではなく、三つの“利点とリスク”を見ながら、組み合わせで最適解を探ることだ。
実際、大規模化は効率を生むが環境負荷の集中や地域コミュニティ弱体化のリスクも抱える。分散化はレジリエンスを高める一方、規模の経済が効きにくい。高密度化は安定供給の切り札だが、エネルギー消費や倫理的論点を生む可能性がある。未来像を“単線”で語らせないのが、この提言の肝でもある。
ONE=Observable Natural–Economic loop——自然と経済を“観測できる形”で結び直す
提言の中心概念が「ONE=Observable Natural–Economic loop」だ。生態系サービスと価値循環を「見える化」し、環境・生産・消費の因果関係を科学的根拠で最適化するという発想である。
現場では、環境データ、品質データ、流通データ、消費データが分断され、指標も形式も統一されていない。だから“良い環境が良い食を生む”がスローガン止まりになる。提言はそこを、データ統合と評価設計で突破しようとしている。生物多様性評価で「環境×生産」を、成分解析で「生産×消費」をつなぎ、育種・スマート化・資源循環で三者を回す——これが「ONE-アグリシステム」の骨格だ。

昆虫が“環境のセンサー”になる。生物多様性を目標値で語る時代へ
実装シナリオの一つは、昆虫を指標として生態系の状態を測り、持続的生産に必要な生物多様性の目標値を産地単位で定めるというものだ。計測値とのギャップを、具体的アクションへ落とし込む。
ここで狙うのは「環境に配慮している」から一歩進み、「どの程度、どんな生態系機能を維持しているのか」を語れる産地を増やすことだ。認証制度やラベルの標準化、消費者の選択肢の拡大までロードマップに置く。環境対策を“コスト”から“市場価値”へ変換する装置である。
味と香りをデジタル化する。成分解析×AIが「地域の自然」をブランドに変える
もう一つのシナリオは、成分解析とAIで味や香りを可視化し、自然環境が育む特性を“科学的な裏付け”としてブランド化する構想だ。親水性・疎水性成分を前処理なしで画像化できるLDI-MS法と、AIによる官能予測モデルの組み合わせが掲げられている。
これは、地域産品の差異を「物語」だけでなく「データ」でも語れるようにする試みでもある。品質管理を高度化し、食べごろや流通の最適化にもつなげる。つまり“おいしさ”を、供給網の強度へ変えていく設計だ。
技術だけでは回らない。人材循環×イノベーション循環という“二重エンジン”
ただし、見える化は万能薬ではない。データ統合には標準化、合意形成、費用負担、そして現場の担い手不足という現実が立ちはだかる。提言が強調するのは、技術開発と同時並行で社会的・人的基盤整備を進める必要性だ。
そこで提示されるのが「人材循環」と「イノベーション循環」の二重構造である。大学が知のハブとなり、現場へ人を送り、フィードバックを研究・教育へ戻す。さらに行政・企業と連携し、喫緊の課題解決から産業・産地形成へ段階的につなぐ。要は、単発の実証で終わらせず、地域に“学びと実装の回路”を埋め込む発想だ。
九州を「実装フィールド」に据える意味。多様性を“比較できる”地域
提言が九州を重視する理由も明確だ。多様な自然環境と生産形態が同一地域内に併存し、「大規模化・分散化・高密度化」を比較・補完しながら検証できる条件があるという。加えてアジア圏に近く、国際連携の拠点化も視野に入る。地域実装が、そのまま海外展開の起点になる設計である。
だが、ここで問われるのは「誰のためのデータか」という視点だ。生産者が不利になる“見える化”は反発を生む。消費者にとっては情報過多にもなりうる。環境価値の市場化は、利益配分の設計を誤れば新たな格差も生む。ONE-アグリシステムが真に社会装置となるには、測定技術より先に、参加のルールと信頼の設計が必要だろう。
ニュースリリース
https://in2fs.kyushu-u.ac.jp/news/teigen-2026-2/
提言全体版
https://in2fs.kyushu-u.ac.jp/_cms_dir/uploads/2026/02/proposal_food_260225_web.pdf
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