
★要点
長期化する戦争は、人間社会だけでなく、森、川、海、湿地、農地、野生動物、保護区にも深い傷を残す。砲撃、爆発、火災、地雷、油流出、ダム破壊、化学物質汚染、軍事車両による土壌圧縮は、生態系の直接被害となる。さらに、保護区管理の停止、研究者の避難、密猟、違法伐採、環境モニタリングの断絶といった間接被害も起きる。Sentinel-2衛星データと機械学習による森林被害評価は、現地調査が難しい戦時下で自然を診断する「地球の修理技術」として重要性を増している。
★背景
気候変動、生物多様性の損失、淡水・海洋汚染が進むなか、戦争は生態系に追加の負荷を与える。ウクライナでは森林被害、淡水・海洋生態系への毒性物質流入、黒海への影響、保護区管理の停滞などが報告されている。戦後復興は、住宅や道路、電力だけを戻す作業ではない。土壌を調べ、水を浄化し、森林を再生し、地雷を除去し、野生動物の回廊を回復し、保護区と研究体制を立て直す必要がある。平和は、人間社会だけでなく、生態系が回復を始めるための条件でもある。
戦争が終わっても、森はすぐには戻らない。砲撃で焼けた森林、油や重金属で汚染された川、地雷が残る農地、爆発で荒れた湿地、軍事活動で傷ついた海。戦場になった自然は、停戦の翌日に回復するわけではない。しかも被害は、目に見える破壊だけではない。保護区の管理が止まり、研究者が避難し、密猟や違法伐採が増え、環境モニタリングが途切れる。地球の修理技術とは、平時の自然再生だけではない。戦争で壊れた自然を、どう測り、除染し、再生し、見守るのか。その問いが、ウクライナの森と水域から突きつけられている。
戦争は、自然を静かに壊していく
戦争の被害は、人命、都市、建物、道路、発電所に集中して語られやすい。
もちろん、それは最優先で記録され、救済されるべきものだ。
だが、戦争は自然も壊す。
森は燃える。湿地は爆発でえぐられる。農地には地雷が残る。河川には油、燃料、重金属、弾薬由来の化学物質が流れ込む。
軍事車両は土壌を圧縮し、植生を破壊し、動物の移動を妨げる。砲撃で発生した火災は、森林や草原を広範囲に焼く。港湾や船舶への攻撃は、油流出や海洋汚染を引き起こす。
ダムの破壊は、さらに複雑だ。
洪水は人命と集落を襲い、下流の生態系を一気に変える。
貯水池の底に堆積していた汚染物質が露出し、雨や浸食で再び川へ流れ出す。水位が変われば、魚類、湿地性植物、鳥類、底生生物のすみかも変わる。
自然は、戦争の“背景”ではない。戦争の被害を受ける主体なのだ。
しかも、生態系の損傷は時間差で現れる。
火災後の森林は、見た目には緑が戻っても、土壌の微生物、昆虫、鳥類、種子の更新、炭素貯蔵の機能が戻るまでには長い時間がかかる。
重金属や有害化学物質は、すぐには消えない。水、土壌、植物、魚、鳥、人間の体へ移っていく。
戦争は、爆発の瞬間だけ自然を壊すのではない。長い尾を引いて、生態系の働きを劣化させる。
保護区も、研究も、管理も止まる
戦争の間接被害は、さらに見えにくい。
保護区のレンジャーが現場に入れなくなる。研究者が避難する。
長期観測のデータが途切れる。希少種の調査ができない。湿地や森林の管理計画が止まる。
野生動物の保護活動が後回しになる。戦争によって、自然を守る仕組みそのものが弱る。
保護区は、地図上に線を引けば守られるものではない。
巡視、調査、外来種対策、火災管理、違法伐採の監視、密猟対策、地域との調整。日々の手入れがあって初めて機能する。
その日常が止まると、保護区は脆くなる。
戦時下では、木材や燃料への需要が高まり、違法伐採が増えることもある。
監視が届かない場所では、密猟も起きやすい。研究機材は破壊され、予算は軍事や人道支援へ向かい、自然保護は後回しになる。だが、自然保護の停止は、戦後の復興コストをさらに増やす。
環境モニタリングの断絶も深刻だ。
戦争前の状態、戦争中の変化、戦後の回復を比較できなければ、どこを優先して修復すべきか判断しにくい。何が壊れたのかがわからなければ、直し方もわからない。
地球の修理技術は、重機や除染だけではない。
観測を続けること。データを失わないこと。保護区管理を途切れさせないこと。それもまた、戦時下の自然を守る技術である。

ウクライナの森林で何が起きているか
ウクライナの森林は、戦争の影響を強く受けているようだ。
砲撃や爆発は火災を引き起こし、森林を焼く。塹壕や軍用道路、車両の移動は、土壌と植生を傷める。
地雷や不発弾が残れば、林業、保全活動、調査、再生作業は危険になる。森林火災が起きても、消火や現地確認が難しい場所もある。
森林は、木が立っているだけの場所ではない。炭素を蓄え、水を保ち、土壌を守り、野生動物のすみかになる。
戦争で森林が損なわれることは、地域の気候調整、水循環、生物多様性、農業、生活安全にも響く。
研究では、ウクライナ東部の森林被害を衛星データで追跡し、戦争開始後の森林変化を把握する試みが進んでいる。
現地へ入れない場所でも、宇宙から森の状態を見ることはできる。
焼けた場所、失われた樹冠、植生の変化、回復の遅れ。こうした情報は、戦後の復旧計画にもつながる。
森は、戦争の沈黙した被害者である。声を上げない。避難できない。だが、損傷は残る。
だから、人間が代わりに測らなければならない。

川と海にも、戦争の傷は流れ込む
戦争は、水域にも深い影響を与える。
淡水域、河口、海洋は、陸で起きた破壊を受け止める場所になりやすい。
油、燃料、重金属、爆発物由来の化学物質、焼けた建材、下水、工場からの流出物。戦争で壊れた都市やインフラの汚染は、川を通じて海へ向かう。
ウクライナでは、淡水・海洋生態系への影響として、油流出、砲撃、機雷、爆発、洪水、火災、保護区の軽視などによる毒性物質と生息地破壊が整理されている。
水域の被害は、魚や底生生物だけでなく、鳥類、海獣、漁業、飲料水、農業にも及ぶ。
黒海への影響も重い。
船舶や港湾への攻撃、油流出、軍事活動、ソナー、爆発、沿岸インフラの損傷は、海洋生物に負荷をかける。
イルカなどの海洋哺乳類は、騒音、汚染、餌資源の変化に敏感だ。海は広く見えるが、汚染を無限に薄める装置ではない。
川と海は、戦争の記録を流す。
水質、堆積物、生物の体内、沿岸の植生、魚の数。そこに、砲撃や破壊の痕跡が残る。
生態系の修復には、水を診る技術が欠かせない。
どの汚染物質が、どこに、どれだけ残っているのか。底質に沈んでいるのか。魚や貝に蓄積しているのか。飲料水や農業用水に影響するのか。
戦後復興は、橋や道路を直すだけでは不十分だ。流域全体を診断しなければならない。
現地に入れない自然を、衛星で診る
戦時下では、現地調査が難しい。危険な地域には研究者が入れない。
地雷や不発弾がある。道路が壊れている。保護区に近づけない。調査機材も不足する。
だから、衛星データが重要になる。
Sentinel-2は、欧州の地球観測衛星である。地表の植生、水、土地利用の変化を継続的に観測できる。
これに機械学習を組み合わせれば、森林被害や植生変化を広域に評価できる。人が歩けない森でも、変化の兆候を捉えられる。
Scientific Reportsに掲載された研究では、Sentinel-2の時系列データと機械学習アルゴリズムを使い、ウクライナの森林生態系への戦争影響を評価している。
戦争開始後の森林損失を変化検出で把握し、影響を受けた地域を抽出する試みである。
これは、地球の修理技術として重要だ。
測ることは、修復の第一歩である。
どこが焼けたのか。どこで伐採が進んだのか。どこに植生の回復が見られるのか。どの地域が優先的な現地調査を必要とするのか。
衛星データは、戦時下の自然を診る“遠隔診療”になる。
ただし、衛星だけで全てはわからない。
土壌汚染の種類、地雷の位置、地下水への影響、種ごとの変化、現地の管理状況は、地上調査が必要になる。
衛星は万能ではない。だが、危険で近づけない場所の初期診断には強い。
地球の修理には、現場の長靴と宇宙からの目の両方がいる。
戦後復興には、生態系の復興が必要だ
戦後復興というと、住宅、道路、病院、学校、発電所、上下水道が思い浮かぶ。それらは不可欠だ。だが、生態系の復興も同じくらい重要である。
土壌が汚染されていれば、農業は戻らない。地雷が残れば、畑も森も使えない。
川が汚染されれば、水道、漁業、湿地、生物多様性が損なわれる。森林が失われれば、水源涵養、防災、炭素吸収、生息地が弱る。保護区の管理体制が崩れれば、希少種の回復も遅れる。
UNEPは、日本政府とともに、戦争影響を受けたウクライナの環境回復を支援する資金協力を発表している。
ここで問われているのは、単なる復旧ではない。環境被害を評価し、汚染を管理し、自然資本を回復し、将来の災害や汚染リスクを減らす復興である。
環境回復は、ぜいたくな後回し課題ではない。人間の生活再建そのものに関わる。
安全な水。汚染されていない土。地雷のない農地。機能する森林。生きものが戻る川。漁業が再開できる海。子どもが遊べる公園や保護区。
これらがなければ、復興は半分しか進まない。
戦後の都市再建に、グリーンインフラを組み込む。汚染土壌を除去・封じ込める。流域単位で水質を監視する。
森林の自然回復を見守り、必要な場所は植生回復を支援する。保護区レンジャーと研究者を戻す。地域住民が自然管理に関われる仕組みをつくる。
戦争で壊れた自然を直すには、環境政策、土木、衛星解析、毒性学、地雷除去、農業、保健、地域づくりが一つにならなければならない。
戦争被害を保全政策に組み込む
Natureの論説が指摘するように、武力紛争が生物多様性に与える影響は、これまで保全政策の中で十分に扱われてこなかった。
だが、世界の多くの生物多様性ホットスポットは、政治的不安定や紛争の影響を受ける地域とも重なる。
自然保護は、平和な場所だけを前提にしていては足りない。
戦争が起きたとき、保護区をどう守るのか。環境データをどう退避させるのか。研究者やレンジャーをどう支援するのか。衛星や市民科学をどう使うのか。
戦後復興資金の中に、生態系修復をどう位置づけるのか。戦争犯罪や賠償の議論に、環境被害をどう組み込むのか。
これは、環境政策の空白である。
地球環境の危機は、気候変動や開発だけで進むわけではない。
戦争、難民化、資源争奪、食料危機、エネルギー危機とも絡み合う。
だから、保全政策は紛争リスクを含めて設計される必要がある。
戦争が自然を壊す。自然の劣化が生活を壊す。生活の不安定化が、さらに紛争リスクを高める。
この悪循環を断つには、平和構築と環境回復を分けて考えないことだ。
自然を守ることは、平和を守ることでもある。逆に、平和なくして自然の回復は難しい。
戦場になった自然を修理するためにできること
戦場になった自然を修理するには段階が必要だ。
第一は、測ること。
衛星データ、ドローン、現地調査、水質分析、土壌分析、野生動物調査を組み合わせ、被害の地図をつくる。
どこが焼けたのか。どこが汚染されたのか。どこに地雷や不発弾があるのか。どの保護区が管理不能になったのか。
測らなければ、修復は始まらない。
それができたら次は、対象エリアを安全にすることだ。
地雷、不発弾、汚染土壌、有害物質、壊れたインフラを取り除く、または封じ込める。
自然再生は、安全が確保されて初めて可能になる。
人が入れない森は、手入れできない。汚染された川は、飲めない。危険な農地は、耕せない。
最後に行うことは、回復を見守ること。
自然は、すぐには戻らない。
植生の回復、土壌の再生、水質の改善、魚類や鳥類の戻り、外来種の拡大、汚染物質の移動を長期的に観察する必要がある。
復興は工事の完了ではなく、回復のプロセスである。
ここで大切なのは、「元通り」を唯一の目標にしないことだろう。
戦争で地形も水系も社会も変わる。気候変動も進む。復興は、過去を完全に再現する作業ではない。
より安全で、より回復力のある土地利用へ組み直す作業でもある。
地球の修理技術とは、傷を消す魔法ではない。
傷を測り、危険を減らし、回復の条件を整え、長く見守る技術である。
平和は、人間社会だけのものではない。
森が再び芽吹くための条件であり、川が澄むための条件であり、鳥が戻るための条件であり、研究者が観測を再開するための条件である。
戦争は、自然を壊す。
平和は、自然が回復を始めるための最初のインフラである。
地球を修理するには、まず戦場を終わらせなければならない。
主な参照情報:
◎Natureは、武力紛争が生物多様性に与える影響が保全政策で長く見落とされてきたと指摘している。Scientific Reportsの研究は、Sentinel-2の時系列データと機械学習により、ウクライナの森林生態系への戦争影響を評価している。
https://www.nature.com/articles/d41586-024-03341-1
https://www.nature.com/articles/s41598-026-35744-7
◎Environmental Evidenceのレビューは、ロシア・ウクライナ戦争が淡水・河口・海洋生物と生息地に及ぼす影響として、油流出、砲撃、機雷、爆発、洪水、火災、保護区の軽視などによる毒性物質と生息地破壊を整理している。Biodiversity and Conservationの研究も、ウクライナ東部の森林被覆変化をリモートセンシングで分析し、戦争による森林生態系への影響を評価している。
https://link.springer.com/article/10.1186/s13717-025-00577-1
https://link.springer.com/article/10.1007/s10531-025-03090-1
◎UNEPは、日本政府との資金協力により、戦争影響を受けたウクライナの環境回復支援を進めている。戦後復興に環境回復を組み込む必要性を示す動きである。
https://www.unep.org/technical-highlight/japan-and-unep-unveil-new-funding-environmental-recovery-war-affected-ukraine
FAQ
Q. 戦争は生態系にどのような被害を与えるのか。
A. 砲撃、爆発、火災、地雷、油流出、ダム破壊、化学物質汚染、軍事車両による土壌圧縮などが、森林、河川、湿地、農地、海洋に直接被害を与える。さらに保護区管理の停止、研究者の避難、密猟、違法伐採、環境モニタリングの断絶といった間接被害も起きる。
Q. なぜ戦時下で衛星データが重要なのか。
A. 現地調査が危険で難しい地域でも、衛星データなら森林火災、植生変化、土地利用の変化などを広域に把握できるからだ。Sentinel-2と機械学習を組み合わせることで、戦争下の森林被害を評価する研究も進んでいる。
Q. 戦後復興に生態系の復興が必要な理由は何か。
A. 土壌、水、森林、農地、海洋が損なわれたままでは、農業、飲料水、漁業、防災、生物多様性、地域の暮らしが戻らないからだ。住宅や道路の復旧だけでなく、自然資本の回復が復興の基盤になる。
Q. 戦争による水域への影響には何があるのか。
A. 油流出、爆発、機雷、洪水、火災、重金属や毒性物質の流入、港湾・船舶への攻撃などがある。淡水、河口、黒海などの海洋生態系に影響し、魚類、底生生物、鳥類、海洋哺乳類、漁業、水利用にも波及する。
Q. 「平和は地球の修理技術」とはどういう意味か。
A. 戦争が続く限り、現地調査、保護区管理、地雷除去、土壌浄化、森林再生、水質改善は進みにくい。平和は、人間社会の復興だけでなく、生態系が回復を始めるための前提条件であるという意味だ。
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