
★要点
2026年5月29日、NEDO(新エネルギー・産業技術総合開発機構)と北海道大学大学院工学研究院の大竹翼教授を代表とする研究グループが、「低温環境での天然水素増進回収のための地球化学的・岩石力学的研究開発」に着手した。予算は約3年間で2億3200万円。低炭素負荷なエネルギー資源である「天然水素」の日本国内での探査と、その生産量の増進・回収に貢献する技術開発を目指すもので、国内外において先駆的な取り組みだという。鍵となるのは「蛇紋岩化作用」——鉄分を多く含む超苦鉄質岩と水が反応して蛇紋岩になる過程で水素が生まれる現象である。地球表層付近の低温環境でも起こるため、掘るだけでなく、工学的に回収量を増やす方法が各国で検討されている。水素をつくるのではない。地球がつくっているものを、受け取りに行く。
★背景
水素は燃やしても二酸化炭素を出さない。だから脱炭素の切り札とされてきた。だが問題は、その水素をどうやって手に入れるかにある。天然ガスから取り出せばCO2が出る。水を電気分解すれば大量の電力がいる。つまり水素は、エネルギーを運ぶ「容器」ではあっても、エネルギー源そのものではなかった。ところが近年、地下で自然に生成される水素の存在が世界的な注目を集めている。アメリカ、カナダ、欧州では、探査、試験採掘、増進回収試験が盛んに進められている。石油や天然ガスと違うのは、生成が現在進行形であること。掘り尽くせば終わりではなく、条件が整えば地下でつくられ続ける。エネルギー資源の考え方そのものを、一段ずらす発想である。
水素は、クリーンなエネルギーだと言われる。
燃やしても、出てくるのは水だけ。二酸化炭素は出ない。
だが、その水素はどこから来るのか。
天然ガスを分解して取り出せば、その過程でCO2が出る。
水を電気分解すれば、大量の電力が必要になる。その電力が火力由来なら、意味は薄れる。
だから水素はしばしば、「つくるのに苦労するエネルギー」として語られてきた。
ところが、である。
地球は、勝手に水素をつくっている。
岩と水が出会うと、化学反応が起きて水素が生まれる。
それも、地下深くの高温高圧の世界だけではない。地表近くの、ごく普通の温度で起きている。
2026年8月20日、北海道大学がひとつのプロジェクトの開始を発表した。
地下で自然に生まれる水素を、より多く回収する技術の研究である。
つくるのではない。
すでにできているものを、いただきに行く。
水素は、エネルギー源ではなかった
前提を整理しておきたい。
水素は、燃料として優秀だ。
燃焼させても二酸化炭素を出さず、出るのは水である。「2050年カーボンニュートラル」の実現に向け、カーボンフリーである水素エネルギーの活用に期待が高まっている。
だが、水素は地上にほとんど単体で存在しない。
水の中にも、天然ガスの中にも、化合物として閉じ込められている。
だから取り出す作業が必要になる。
化石燃料から取り出す方法は安価だが、CO2が出る。
水を電気分解する方法はクリーンだが、電力を大量に食う。
いずれにせよ、水素を得るにはエネルギーを投入しなければならない。
つまり水素は、エネルギーを別の形に変えて運ぶ「電池」や「容器」に近い存在だった。
石油や石炭のように、地面から出てくるものではない。
——そう考えられてきた。
その常識が、いま揺らいでいる。
「蛇紋岩化作用」という、地球の化学工場
鍵になるのが、聞き慣れない専門用語である。
蛇紋岩化作用(じゃもんがんかさよう)。
これは、鉄分を多く含む超苦鉄質岩と水が反応して蛇紋岩になる過程で水素を生成する反応である。
かみ砕けば、こうなる。
地下には、鉄をたっぷり含んだ岩がある。
そこへ水が染み込む。
岩の中の鉄が、水と反応する。鉄は水から酸素を奪って酸化する。
酸素を取られた水は、水素として残される。
岩が錆びると、水素が出る。
これが蛇紋岩化作用の、いちばん簡単な説明だろう。
反応後の岩は、蛇紋岩と呼ばれる、緑がかった独特の石になる。庭石や装飾石材として使われることもあり、実物を目にしたことのある人も多いはずだ。
そして重要なのが、次の一点だ。
この反応は、地球表層付近の低温環境でも起こる。
地下深部の高温高圧が必須ではない。
比較的浅く、冷たい場所でも進む。
だからこそ、手が届く。
人間が到達できる深さで、いまも反応が続いている可能性がある。
採掘に加えて、工学的手法で天然水素の回収量を増進する方法が、各国企業で検討されている。
「増進回収」という言葉が、この研究の核心にある。
ただ掘るのではない。反応を促し、量を増やして回収する。

「掘らない」のではなく、「掘り尽くさない」
天然水素が世界的な注目を集める理由は、量だけではない。
資源としての性質が、化石燃料とまるで違うことにある。
石油も石炭も天然ガスも、何億年もかけて蓄積されたストックである。
使えば減る。減った分は、人間の時間感覚では戻らない。
一方、蛇紋岩化作用による水素生成は、いまも進行している。
岩があり、水があり、条件が整っていれば、反応は続く。
条件を人為的に整えられるなら、生成量を増やせる可能性さえある。
ストックではなく、フロー。
在庫を切り崩すのではなく、湧き出るものを受け取る。
この構図は、太陽光や風力に近い。
だが太陽光と違って、天候にも昼夜にも左右されない。地下は、いつでも同じ条件でそこにある。
そして最大の利点は、燃焼段階でCO2を出さないことだ。
掘削や設備にエネルギーはかかるが、水素そのものを製造する工程がいらない。
低炭素負荷なエネルギー資源。
リリースの表現は控えめだが、意味するところは大きい。
ただし、断っておかなければならない。
これは研究の開始であって、実用化の宣言ではない。
どれだけの量が、どこに、どれだけの速度でたまっているのか。
経済的に回収できるのか。
まだ何も確定していない。
日本の地面に、その岩はある
では、日本に望みはあるのか。
日本には、天然水素の貯留や回収増進が期待できる超苦鉄質岩が各地に分布している。
これは重要な一文だ。
日本は資源に乏しい国、というのが長年の自己認識だった。
石油もガスも石炭も、ほとんどを輸入に頼っている。エネルギー自給率の低さは、経済と安全保障の恒常的な弱点であり続けてきた。
だが、超苦鉄質岩は日本各地にある。
かつて日本各地でクロムやニッケルが採掘されたのも、これらの岩体と無縁ではない。
蛇紋岩は、日本の地質を語るうえで馴染み深い岩石である。
つまり——原料は、すでに国内にある。
もちろん、岩があれば水素が出るという単純な話ではない。
どんな条件で、どれだけ生まれるのか。そこを明らかにするのが、今回の研究である。
国産のエネルギー。
この四文字が持つ意味は、単なる経済性を超える。
輸入に依存しないエネルギー源は、国際情勢の変動から国内経済を守る緩衝材になる。
ナトリウムイオン電池が資源偏在リスクへの備えであったように。
地域で資源を循環させる仕組みが物流の脆さへの備えであったように。
エネルギーと資源の議論は、いま一様に「どこから来るのか」を問う方向へ向かっている。

岩を、AIで読む
研究の中身も、なかなか面白い。
本研究では、国内に分布するさまざまな超苦鉄質岩を使った水素生成実験を行い、水素生成量と、pH、水/岩石比、岩石を構成する鉱物の種類といった反応に重要なパラメータとの関係を評価する。
条件を変えながら、実験室で岩と水を反応させる。
どの条件のとき、どれだけ水素が出るのか。地道な作業である。
そこに、現代的な手法が加わる。
超苦鉄質岩の水/岩石比や鉱物種の比率については、AI画像解析を用いた迅速な判定方法を開発する。
岩石の薄片を顕微鏡で覗き、鉱物の種類と比率を判定する。
従来は専門家が目で見て数える、時間のかかる作業だった。
これをAIに任せれば、判定は一気に速くなる。
全国に分布する岩体を、片っ端から評価していくことも視野に入る。
そしてもうひとつ、力学的なアプローチがある。
岩石の力学的応答を理解するため、水圧や放電圧パルスによる破砕実験を行い、さらにμX線CTなどを用いた微視構造観察で、破砕により形成された亀裂の形状を把握する。
なぜ岩を割るのか。
反応は、岩と水が接する面で起きる。
つまり、接触面積が大きいほど水素は多く生まれる。
一枚岩のままでは、水は表面にしか触れられない。
だが細かく割れていれば、水は隅々まで入り込み、反応する面が増える。
割れば、増える。
砂糖の塊より粉砂糖のほうが早く溶けるのと、原理は同じだ。
そして割ったあとの亀裂の形も重要になる。
水がどこを通り、生まれた水素がどこを通って出てくるのか。流体の通り道が確保されていなければ、せっかくの水素は地中に閉じ込められたままになる。
X線CTで岩の内部を透視し、亀裂の形状を三次元で把握する。
医療のCT検査と、やっていることは変わらない。
地下の岩を、診断してから処置する。
ここでもまた、観測と診断が先に立っている。
何を目指すのか、三つの到達点
リリースには、期待される成果が三つ挙げられている。
①岩石鉱物学的特徴から、天然水素の貯留が期待できる岩体を推定すること。
いわば、探査の物差しをつくる作業だ。
どの岩なら見込みがあるのかが分かれば、やみくもに掘る必要がなくなる。
②水素生成に関与する地球化学的要因から、増進回収に必要な工学的条件を設定すること。
生成のメカニズムが分かれば、それを促す条件をつくれる。
温度、pH、水の量。どこをどう操作すれば、反応が進むのか。
③天然水素の増進に寄与する破砕方法の提案と、水素回収に重要な流体移動経路の把握。
どう割れば効率がいいのか。
生まれた水素は、どうやって回収するのか。
探す。増やす。取り出す。
研究の射程が、この三段で構成されている。
研究を率いる大竹翼教授は、低温の蛇紋岩化作用において水素生成をコントロールするさまざまな要因を明らかにする研究を続けてきた。2025年度に採択されたNEDO先導研究プログラム/フロンティア育成事業「天然水素生成や増進回収における要因解明に係る研究開発」で実績を上げ、規模を拡大した今回の提案が2026年度の同事業に採択されている。
前段の研究があって、次の段階に進んだ。
基礎から応用へ、階段を一段上がったところである。
「地球のはたらき」を資源とみなす
この研究の面白さは、技術そのものより、発想の位置にあると思う。
エネルギー資源を得る方法には、大きく二つあった。
ひとつは、採ること。
石油、石炭、天然ガス。地中に眠っているものを掘り出す。
もうひとつは、つくること。
太陽光パネルで発電する。風車を回す。水を電気分解して水素にする。
天然水素は、そのどちらでもない。
地球がいま進行させている化学反応に手を添えて、生成物を受け取る。
採るのでも、つくるのでもなく、受け取る。
これは、川の倒木の話と構造が似ている。
倒木が流れを分け、たまりをつくり、稚魚を育てる。
人がやるのは、その仕組みが働く条件を確保することだけだった。
自然の修復力に任せる。地球の生成力に任せる。
いずれも、人間が全工程を制御しようとする発想からの離脱である。
もちろん、任せきりでは何も起きない。
どこにその力が働いているのかを知り、条件を整え、受け取る仕組みを用意する必要がある。
観測し、診断し、条件を整え、あとは自然のプロセスに働いてもらう。
それは、放任とはまるで違う技術である。
期待と、慎重さと
最後に、冷静な視点も添えておきたい。
天然水素は、いま世界的なブームの様相を呈している。
アメリカ、カナダ、欧州で探査、試験採掘、増進回収試験が盛んに進められている。
だが、期待が先行しやすい分野でもある。
まだ商業生産の実績は限られている。
どれだけの量が、どれだけの速度で生成されているのか。回収に投じるエネルギーと、得られる水素は釣り合うのか。地下深部の岩を破砕することの環境影響は。
問いは山積している。
そして水素そのものにも課題がある。
分子が小さく漏れやすい。輸送と貯蔵にコストがかかる。漏れた水素が大気中でメタンの寿命を延ばし、間接的に温暖化に影響する可能性も指摘されている。
「CO2を出さない」ことと、「環境負荷がない」ことは同じではない。
だからこそ、この研究が3年をかけて基礎の部分を固めようとしていることには意味がある。
探査の物差しをつくり、生成条件を明らかにし、破砕と回収の方法を検討する。
国内外において先駆的な取り組みである。
先駆的ということは、前例がないということでもある。
派手な成果が明日出るわけではない。
だが、足元の岩を調べ、条件を測り、仕組みを理解する作業なしに、実用化はあり得ない。
地面の下で、岩が錆びている。
その錆びる過程で、水素が生まれている。
何億年も前から続いてきたその反応に、人間はようやく気づき、手を伸ばそうとしている。
エネルギーは、つくるものだと思っていた。
掘るものだと思っていた。
だが、すでにそこで生まれているものを、上手に受け取るという道もある。
掘らないエネルギー。
その言葉が現実になるかどうかは、これからの3年が握っている。
参照
「天然水素の低温増進回収に向けたプロジェクトを開始~環境に優しい『国産』天然水素エネルギー開発の実現に向けて~」(北海道大学・2026年8月20日)
https://www.hokudai.ac.jp/news/pdf/260820_pr2.pdf
FAQ
Q. 天然水素とは何ですか?
A. 自然界に存在する水素のことである。人工的に製造するのではなく、地下での化学反応によって生成されたものを指す。世界的に注目が高まっており、アメリカ、カナダ、欧州で探査や試験採掘が進んでいる。
Q. 「蛇紋岩化作用」とは何ですか?
A. 鉄分を多く含む超苦鉄質岩と水が反応し、蛇紋岩になる過程で水素が生成される反応である。地球表層付近の低温環境でも起こるため、工学的な回収の可能性が検討されている。
Q. なぜ「増進回収」が必要なのですか?
A. 自然に生成される量をそのまま採るだけでは、回収量が限られる可能性がある。反応の条件を工学的に整えることで、生成量と回収量を高められないかが研究の焦点になっている。
Q. 今回のプロジェクトの規模は?
A. NEDO先導研究プログラム/フロンティア育成事業の委託事業として、2026年5月29日から約3年間、2億3200万円で実施される。代表は北海道大学大学院工学研究院の大竹翼教授。
Q. 日本でも可能性はあるのですか?
A. 日本には、天然水素の貯留や回収増進が期待できる超苦鉄質岩が各地に分布しているとされる。今回の研究では、国内に分布するさまざまな超苦鉄質岩を使った水素生成実験が行われる。
Q. 岩を破砕するのはなぜですか?
A. 反応は岩と水が接する面で起きるため、破砕によって接触面積を増やせば生成量の向上が期待できる。また、亀裂は水と水素が通る経路にもなるため、その形状の把握が重要になる。
Q. AI画像解析は何に使うのですか?
A. 超苦鉄質岩の水/岩石比や鉱物種の比率を、迅速に判定する方法の開発に用いられる。従来は専門家による時間のかかる作業だった評価を、効率化することが狙いである。
Q. 従来の水素と、何が違うのですか?
A. 天然ガス由来の水素は製造時にCO2が出る。水の電気分解には大量の電力がいる。天然水素は地下で自然に生成されているため、製造工程そのものが不要になる点が大きく異なる。
Q. すぐに実用化されるのですか?
A. 今回は基礎研究の段階である。生成量や回収の経済性、環境影響など、確認すべき事項は多い。約3年をかけて、探査の指標づくりや工学的条件の設定に取り組む段階にある。
Q. なぜ「国産」であることが重要なのですか?
A. エネルギーの多くを輸入に頼る日本にとって、国内で得られる低炭素なエネルギー源は、経済的にも安全保障の面でも意味を持つ。原料となる岩体が国内に分布していることが、その前提となる。
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