★ここが重要!

★要点
2026年8月、自然を「測る」ための動きが相次いだ。バイオームとJAXA第一宇宙技術部門は、衛星による高解像度の土地利用・土地被覆データと、アプリ「Biome」に蓄積された1,100万件を超える生物データを組み合わせ、草地や湿地の「状態」や「質」を評価する手法の開発に向けた共同研究を開始した。同じ週、京都市全域を舞台に、市民がスマートフォンで生きものを撮影・投稿する「きょうのいきもの大調査」もスタート。一方、国立環境研究所は市民調査員と連携した生物季節モニタリングを継続し、気象庁による過去約70年の記録と比較できる観測ネットワークの構築を進めている。宇宙から。手のひらから。70年という時間軸から。見ている縮尺はまるで違うが、三つとも同じことをしている。地球の健康診断である。
★背景
「地球の修理技術」というと、何かを造成し、装置を置き、植林する場面が思い浮かぶ。だが医療を考えれば分かるように、修理の前には必ず診断がある。検査もせずに手術する医者はいない。ところが自然に関しては、長らく「面積」だけが指標だった。何ヘクタール守ったか。何%を保護区にしたか。2030年までに陸と海の30%を保全する「30by30」目標や、OECM・自然共生サイトをめぐる施策、企業のTNFD対応や自然資本リスク評価への関心の高まりを背景に、生態系を広域かつ継続的に評価できる技術へのニーズが国内外で高まっている。守った面積ではなく、そこがどんな状態にあるのか。観測→診断→修理・再生→維持管理→再評価。このサイクルの入口が、いま整備されつつある。

田んぼの脇の細い水路。
ゴルフ場のラフの草むら。
神社の裏手の雑木林。
地図の上では、ただの「緑」か「水面」として塗られる場所だ。
だがそこに何が棲み、どれだけ豊かで、いま健康なのかは、色分けからは分からない。
面積は測れても、状態は測れない。
これが、自然を守ろうとする人々を長く悩ませてきた壁である。
2026年8月、その壁に三方向から穴が開いた。
高度数百キロの衛星から。
夏休みの子どもが握るスマートフォンから。
そして、70年分の観測ノートから。
見ている縮尺も、時間の長さも違う。
だが三つを重ねたとき、そこに現れるのは同じもの——地球のカルテだ。

面積では、自然の健康は測れない

まず、問題の所在を確認しておきたい。
衛星画像を解析すれば、そこが森なのか、草地なのか、水面なのかは分かる。土地利用・土地被覆図と呼ばれるものだ。
面積の増減も追える。森が減った、宅地が増えた。そうした変化は、宇宙から正確に把握できる。
だが、その森が健康かどうかは分からない。
外来種に覆われた草地も、在来種が豊かに残る草地も、上空から見れば同じ緑である。
手入れが行き届いた里山も、放置されて藪と化した斜面も、面積としては同じ数字になる。
この共同研究が目指すのは、まさにここだ。従来の土地被覆図では表現が難しかった生態系の「状態」や「質」を反映する評価モデルの試作・検証に取り組み、その有効性と実務利用に向けた課題を整理する。
外形と中身。
CTスキャンで臓器の形は分かっても、血液検査をしなければ機能は分からない。
自然の診断にも、両方が要る。

宇宙が形を、市民が中身を

生物多様性ビッグデータを活用した事業を展開する株式会社バイオーム(本社・京都市、代表取締役 藤木庄五郎)は、JAXA第一宇宙技術部門と「半自然生態系の状態評価における衛星データと生物データ統合モデルの実現可能性検証」をテーマとする共同研究を開始した。
組み合わされるのは、まったく性格の違う二種類のデータだ。
ひとつは、JAXAが保有する衛星観測に基づいた高解像度の土地利用・土地被覆データ。もうひとつは、スマートフォンアプリ「Biome」上で蓄積された1,100万件を超える生物データ。これらを組み合わせることで、自然的な高山や海岸から、里地里山のような二次的環境、さらにはゴルフ場や公園に至るまで、多様な草地・湿地の「状態」や「質」を評価する新たな手法の開発を目指す。
面白いのは、対象にゴルフ場や公園が入っていることだ。
原生林でも、国立公園でもない。
人がつくり、人が刈り、人が遊ぶ場所。そういう「中途半端な緑」こそ、実は評価が難しく、そして日本には圧倒的に多い。
上からの視点と、地上の視点。
宇宙が広さと形を担当し、市民が中身を担当する。役割分担としては、これ以上ないほど明快である。

「半自然」という、日本のやっかいな豊かさ

ここで、日本特有の事情に触れておく必要がある。
日本には、歴史的に人為的影響をほとんど受けていない自然生態系のほかに、水田、ため池、草地、二次林など、人の管理のもとで維持されてきた半自然生態系が広く分布し、それぞれが豊かな生物多様性と自然資本を育んできた。これらは適切な保全や管理がなければ劣化・消失するおそれがあり、生物多様性保全における重要課題となっている。
つまり、日本の自然の多くは「放っておけば守れる」ものではない。
草を刈るからこそ維持される草原がある。
水を張るからこそ生きものが集まる田んぼがある。
薪を採るからこそ明るさが保たれた林がある。
人が手を引いた瞬間に劣化が始まる。
守るとは、触らないことではなく、手入れを続けることだ。
これはメンテナンスという言葉の、もっとも本質的な用法だろう。
建物も、機械も、自然も、放置は保全ではない。
そして手入れを続けるには、いまどれくらい傷んでいるかを知らなければならない。
点検なきメンテナンスは、ただの思い込みである。
研究の成果は、政策面では30by30目標の達成やOECM・自然共生サイトの拡大に向けて生態系の分布や変化を客観的・継続的に把握する情報として、産業面では企業が自然関連のリスクと機会を把握し情報開示を進める際の基盤情報として活用が見込まれている。
自然の状態が数値で示せれば、それは政策の根拠にも、投資の判断材料にもなる。
測れないものには、金も制度もつきにくい。

半自然生態系のイメージ

夏休みの京都が、まるごと調査地になる

同じ週、もっと軽やかな動きも始まった。
バイオームは、一般社団法人関西イノベーションセンターと連携し、アプリ「Biome」を使った市民参加型イベント「きょうのいきもの大調査」を2026年8月7日から9月27日まで開催する。京都市全域が舞台で、夏休みのおでかけや自由研究としても楽しめる期間限定イベントだ。
参加方法は拍子抜けするほど単純である。
スマートフォンにアプリを入れ、京都市内で見つけたいきものを撮影して投稿するだけ。
用意されたミッションも、よく考えられている。
京都市内で見られるいきものを10種類。セミの仲間を3種類。対象の外来種を3種類。
セミ。
子どもが夏に必ず出会う虫であり、鳴き声で種類を聞き分けられる。しかも気温の影響を受けやすく、温暖化の指標としても優秀だ。
外来種。
在来種との違いを知ることが、生態系という概念への入口になる。
遊びの体裁をとりながら、集まるデータには意味がある。
投稿された観察記録は、バイオームが有する日本最大級の生物多様性データベースの一部として蓄積され、京都市の自然環境の把握や、生物多様性に配慮したまちづくりに活用される。なお、希少種の場所はマップ上では自動的に非公開になる。
盗掘や乱獲を招かないための配慮だ。
市民科学が実用に耐えるかどうかは、こうした地味な設計に懸かっている。

アプリ「Biome」ダウンロードはこちらから

70年分の「初鳴き」が教えること

三つ目の視点は、時間である。
国立環境研究所は、2021年度に気象庁・環境省との連携・協力のもとで「生物季節モニタリング」を開始した。植物の開花や鳥の初鳴きなど、生物の季節的な反応を全国の市民調査員と連携して長期的に観測するプログラムである。
なぜ始まったのか。背景には、ひとつの喪失があった。
日本では1953年から2020年まで、気象庁によって全国59の気象台・測候所で65種目もの生物の季節現象が記録されてきた。しかし2021年からは、このうち6種目9現象以外の項目については継続されないことになった。縮小の背景には、観測所となる気象台が市街地に位置することが多く、都市化や気候変動の影響で観測対象が見つからないことや、標本木の確保が難しくなってきたことが挙げられている。
観測しようにも、観測すべき生きものが街から消えていた。
皮肉としか言いようがない。
この決定に対し、日本生態学会をはじめとする学会や自然保護団体、気象予報士など多くの団体・個人から見直しの要望が寄せられた。約70年の蓄積のある観測を中止することは、学術的にも社会的にも損失になると危惧されたためである。
そこで生まれたのが、市民との連携という解だった。
このモニタリングでは、気象庁が使ってきたマニュアルを活用して観測の基準を統一し、過去約70年の記録と比較可能なデータを取得することを目的としている。観測対象は植物32種目、動物34種目。
タンポポの開花日。ウグイスの初鳴日。ツバメの初見日。アブラゼミの初鳴日。ホタルの初見日。
どれも、誰もが一度は気づいたことのある「季節の合図」だ。
2024年1月時点で、47都道府県から計504名の調査員が参加している。2025年8月時点では、66種目8,000件を超える報告が寄せられた。
そして気になる精度も、検証されている。
気象庁の記録と比較したところ、ほとんどずれていない種目、早まる種目、遅れる種目が混在しており、市民参加型調査が常に早く(あるいは遅く)観測してしまうといった一定の偏りはなさそうだという。
素人が集めたデータだから当てにならない、とは言えない。
基準を揃え、方法を教え、継続すれば、市民の目は十分に科学の道具になる。

生物季節モニタリング 調査マニュアル

なぜ「時間の長さ」が武器になるのか

生物季節(フェノロジー)という分野は、地味だが強い。
生物季節に関する情報の蓄積は、IPCC第4次評価報告書で、気候変動が環境に与える影響を評価するうえで非常に有効と評価されて以降、世界中で注目を集めてきた。
理由は単純だ。
生きものは、温度計を持たずに温度を記録している。
植物の開花や紅葉、昆虫や鳥の初鳴きは、それぞれの生きものが気温や日照の季節変化を感知して生じる。実際、春の開花時期の早期化や秋の紅葉の遅れなど、さまざまな現象が確認され始めている。こうした生物活動のタイミングは、自然生態系だけでなく、農業、観光業、文化的サービスとも関わっている。
桜の開花が早まれば、花見の日程が動く。
セミの鳴き始めが変われば、夏の記憶が変わる。
受粉の時期がずれれば、農業の暦が狂う。
気温のグラフは抽象的だが、「今年はもう鳴いた」は具体的だ。
生物季節は、気候変動を体感に翻訳する装置でもある。
そして何より、70年という時間の厚みは、他のどんな最新技術でも買えない。
衛星は明日打ち上げられる。アプリは半年でつくれる。だが70年前の観測記録だけは、70年前に始めた人にしか残せない。
いま観測を続けることは、2090年代の誰かへの贈り物になる。

観測なき修理は、当てずっぽうにすぎない

三つの取り組みを、あらためて並べてみる。
空間の広さ——衛星は、一度に国土全体を見る。
空間の細かさ——市民のスマートフォンは、水路の一匹を見る。
時間の長さ——生物季節モニタリングは、70年を見る。
どれか一つでは足りない。
衛星だけでは、緑の中身が分からない。
市民の投稿だけでは、人が行かない場所が空白になる。
長期観測だけでは、いま起きている広域の変化に追いつかない。
医療にたとえるなら、レントゲンと問診と、過去のカルテだ。
三つ揃って初めて、診断ができる。
そして、ここからが「地球の修理技術」の本題になる。
観測

診断

修理・再生

維持管理

再評価
自然再生の議論は、しばしば真ん中の「修理・再生」だけが注目される。植えた、つくった、戻した。写真映えもする。
だが入口の観測と、出口の再評価がなければ、それが効いたのかどうかは永遠に分からない。
効果が測れなければ、改善もできない。
改善できなければ、次の予算も投資もつかない。
地味な観測こそが、循環全体を回す歯車である。

地球の健康診断は、誰でも受けさせられる

もうひとつ、見落とせない共通点がある。
三つとも、専門家だけでは成立しないということだ。
専門家だけでは集めきれないいきものの情報を、市民とともに集める。
気象庁が続けてきた緻密な観測を継続する新たな体制の構築には、市民と連携する以外に方法はない。
予算の話でも、人手不足の言い訳でもない。
自然は、専門家が行ける場所だけに存在しているわけではないという、単純な事実の帰結である。
通勤路の街路樹。ベランダから見える空。近所の公園の池。
研究者は、そこに毎日通えない。だが住んでいる人は毎日通っている。
調査地は、通学・通勤路や散歩コース、職場や学校の敷地、近所の公園、自宅の庭でよい。分かる種だけ、お気に入りの1種だけの観測でも構わないとされている。
参加のハードルは、驚くほど低い。
そして低いからこそ、続く。
一人が撮った一枚の写真。
一人が書き留めた一行の日付。
それが1,100万件になり、8,000件になり、70年になる。
地球のカルテは、誰か特別な人が書いているのではない。
書いている人が、たまたままだ少ないだけだ。

「守る」の前に、「見る」がある

自然を守ろう、というスローガンは古くからある。
だが何をどう守るのかは、状態が分からなければ決められない。
面積から、状態へ。
点検から、手入れへ。
そして手入れの効果を、また測り直す。
今回の共同研究は、実現可能性の検証段階にある。構築するデータセットや分析の枠組みは、海外や他の生態系タイプへの展開も視野に入っており、広域での生物多様性評価やモニタリングの高度化に向けたテストケースとなることが期待されている。
まだ入口だ。
だが、方向は間違いなく正しい。
夏の京都で子どもがセミを撮る。
その一枚が、衛星が捉えた緑のピクセルと結びつく。
そして70年分の初鳴きの記録と並べられる。
宇宙と、手のひらと、時間。
三つの縮尺が重なったとき、地球はようやく「診てもらえる」患者になる。
守る前に、見る。
それが、地球をメンテナンスするということだ。

参照:

「株式会社バイオーム、JAXAと共同研究を開始」(バイオーム・2026年8月5日)
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000096.000044108.html

「夏休み、京都市全域がいきもの探しのフィールドに。『きょうのいきもの大調査』スタート」(バイオーム・2026年8月7日)
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000097.000044108.html

「国立環境研究所 市民調査員と連携した生物季節モニタリング」(気候変動適応情報プラットフォーム/最終更新2026年8月7日)
https://adaptation-platform.nies.go.jp/ccca/monitoring/phenology/

FAQ

Q. バイオームとJAXAは、何を研究するのですか?
A. 衛星による高解像度の土地利用・土地被覆データと、アプリ「Biome」に蓄積された1,100万件を超える生物データを統合し、草地や湿地といった生態系の「状態」や「質」を評価するモデルの実現可能性を検証する。

Q. なぜ「面積」だけでは足りないのですか?
A. 上空から見れば、外来種に覆われた草地も在来種が豊かな草地も同じ緑に見える。守った面積が増えても、その中身が劣化していれば生物多様性は失われる。形と中身の両方を測る必要がある。

Q. 「半自然生態系」とは何ですか?
A. 水田、ため池、草地、二次林など、人の管理のもとで維持されてきた生態系を指す。適切な保全や管理がなければ劣化・消失するおそれがあり、放置することが保全にはならないという特徴を持つ。

Q. なぜゴルフ場や公園まで評価の対象なのですか?
A. 原生的な自然だけでなく、人がつくり管理してきた緑地にも生物多様性が宿るためである。日本ではこうした環境が広く分布しており、その状態を客観的に評価する手法が求められている。

Q. 「きょうのいきもの大調査」とはどんな取り組みですか?
A. 京都市全域を舞台に、市民がスマートフォンで見つけた生きものを撮影・投稿する期間限定イベントである。投稿は生物多様性データベースに蓄積され、地域の自然環境の把握やまちづくりに活用される。

Q. 市民が集めたデータは、科学的に信頼できるのですか?
A. 生物季節モニタリングでは、気象庁と同じ観測マニュアルを用いて基準を統一している。気象庁の記録と比較した結果、市民参加型調査に一定の偏りは見られないとされている。

Q. 生物季節モニタリングは、なぜ始まったのですか?
A. 気象庁が1953年から続けてきた生物季節観測が2021年から大幅に縮小されたことを受け、約70年の蓄積を活かす形で国立環境研究所が気象庁・環境省と連携して開始した。市民調査員とともに観測を継続している。

Q. 長期の観測記録には、どんな価値がありますか?
A. 開花や初鳴きの時期の変化は、気候変動の影響を示す指標になる。IPCCの評価報告書でも有効性が認められており、長期の記録があってはじめて「早まっている」「遅れている」と言える。

Q. 「地球の修理技術」とは、造成や植林のことではないのですか?
A. それだけではない。観測、診断、修理・再生、維持管理、再評価という循環全体が修理技術である。診断がなければ何を直すべきか分からず、再評価がなければ効果も確かめられない。

Q. 個人にできることはありますか?
A. アプリで身近な生きものを記録して投稿する、生物季節モニタリングの調査員として通勤路や自宅の庭で開花や初鳴きを観測する、といった参加が可能である。分かる種を1種だけ観測する形でも構わないとされている。

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