★ここが重要!

★要点
2026年7月14日、熊本城ホールで開催された「GLOBAL NATURE POSITIVE SUMMIT 2026」の基調講演に、ネイチャーポジティブ・イニシアティブのマルコ・ランベルティーニ氏と、国連開発計画のペドロ・コンセイソン氏が登壇した。
過去100年、人類は平均寿命を延ばし、貧困や乳幼児死亡率を減らし、経済と技術を大きく発展させた。その一方で、野生生物や生態系は急速に失われている。
二人が示したのは、自然を守るために人間の発展を止める未来ではない。
自然の状態を測る指標と、人間と自然の関係を測る指標。その両方を用いて、ネイチャーポジティブとヒューマンポジティブを同時に実現する、新しい発展のかたちだった。
★背景
2022年に採択された「昆明・モントリオール生物多様性枠組」は、2030年までに自然の損失を止め、回復へ転じるという世界共通の目標を掲げた。しかし、生物多様性は、温室効果ガスのように一つの単位では測れない。
森の面積が残っていても、内部から生き物が消えていることがある。川が流れていても、水質や生態系が損なわれていることがある。自然を測るには、面積だけでなく、状態、種、個体数、周辺環境まで見る必要がある。
同時に問われるのは、人間が自然とどのような関係を結ぶのかという問題だ。
自然が人間に何を与えてくれるかだけではない。人間は自然に何ができるのか。
ネイチャーポジティブは、自然保護の新しい名称ではない。人間の進歩と豊かさを、自然との関係から定義し直す試みなのである。

「We need nature. We are nature」
私たちには自然が必要だ。
そして、私たち自身が自然なのだ。
2026年7月14日、熊本城ホール。
「ネイチャーポジティブとは何か:今の時代における喫緊の課題」と題した基調講演は、この短い言葉から始まった。
ネイチャーポジティブとは何か。
なぜ、生物多様性の危機に今すぐ対処しなければならないのか。
企業、金融、農業、漁業、林業、インフラ、製造業、地域社会は、それをどのように実践するのか。
壇上に立ったのは、ネイチャーポジティブ・イニシアティブのマルコ・ランベルティーニ氏と、国連開発計画人間開発報告書室ディレクターのペドロ・コンセイソン氏。
二人の講演は、自然を守る方法だけを論じるものではなかった。
人類は何を進歩と呼び、何を豊かさと考えてきたのか。
自然の外側に人間が存在するという前提を捨て、発展そのものを組み直す。
ネイチャーポジティブは、自然の危機を知らせる警報であると同時に、人間社会の未来を選び直すための羅針盤なのだ。

人類の大躍進と、自然の大衰退

過去100年、人類は大きな進歩を遂げた。
平均寿命は延びた。極度の貧困は減少した。乳幼児死亡率も大幅に下がった。過去150年で経済は大きく成長し、科学技術は、それ以前には想像できなかった水準へ達した。
もちろん、世界には今も深刻な格差がある。
それでも多くの人は、祖父母や曾祖父母の時代と比較すれば、医療、衛生、教育、移動、通信など、さまざまな面で便利で安全な生活を送っている。
ランベルティーニ氏は、これを「人類の大躍進」と表現した。
しかし、その進歩には暗い側面がある。
森林や湿地は失われ、生息地は分断され、生物種は減少した。経済が拡大するのと並行して、地球の生態系は弱っていった。
人類の大躍進と、自然の大衰退。
これが現代のパラドックスだ。
人間の経済は、自然から資源を取り出し、土地を使い、水を使い、廃棄物を戻すことで成長してきた。
だが、その成長を支える自然そのものを失えば、現在の経済モデルは自らの土台を削り続けることになる。
一時的には成長できても、長くは続かない。
人類は豊かになった。
しかし、その豊かさを支える地球は、生命の量と多様性を失い、温暖で、静かで、空白の多い場所へ変わりつつある。

哺乳類の約95%を、人間と家畜が占める世界

講演で示された象徴的な数字がある。
地球上に存在する哺乳類を重量で見ると、その大部分を人間と家畜が占め、野生哺乳類はわずかしか残されていないという数字だ。
ランベルティーニ氏は、講演で、人間と家畜が哺乳類のバイオマスの96%を占め、ゾウからネズミまでを含む野生哺乳類は4%にすぎないと紹介した。
近年の推計でも、人間と家畜が約95%、野生哺乳類が約5%とされている。数値には推計方法による違いがあるものの、地球上の哺乳類の構成が、人間の活動によって大きく偏っていることは明らかだ。
野生動物の映像を見ると、地球には今も多くの動物が暮らしているように感じる。
だが、重量で地球全体を眺めれば、現実は異なる。
牛、豚、羊など、人間が食料や資源として飼育する動物。都市や農地を広げながら増加してきた人間。
その外側で、野生動物が占める場所は小さくなった。
これは、絶滅危惧種だけの問題ではない。
農地の拡大、森林伐採、都市開発、インフラ建設、漁業、資源採取、消費生活。人間の経済活動全体が、野生の生き物が利用できる土地、水、食料を減らしてきた結果である。
私たちは自然の外側で生活しているのではない。
地球上の生命の構成そのものを変えるほど、大きな力を持つ存在になっている。

自然が、人間の活動による熱と炭素を受け止めてきた

人間社会が現在まで発展できた背景には、自然が持つ巨大な調整能力がある。
海洋は、人間活動によって生じた余分な熱の90%以上を吸収してきた。さらに、化石燃料の燃焼によって排出された二酸化炭素の相当部分を、海や森林などの自然が吸収している。
自然は、気候変動の影響を弱める巨大な緩衝材として働いてきた。
もし、海、森林、土壌、湿地が熱や二酸化炭素を吸収していなければ、地球の温暖化はさらに急速に進み、人間社会はより深刻な影響を受けていただろう。
だが、自然の吸収能力は無限ではない。
海が熱を吸収すれば、水温が上がる。二酸化炭素を吸収すれば、海洋酸性化が進む。森林や湿地を失えば、炭素を吸収する能力そのものが弱くなる。
気候変動と生物多様性の損失は、別々の危機ではない。
気候変動が森林火災を増やし、森林火災が二酸化炭素を放出し、さらに気候変動を加速させる。
一つの変化が次の変化を引き起こし、元に戻すことが難しい転換点へ近づいていく。
自然は、これまで人間社会を守ってきた。
だが今度は、人間が自然の回復を助けなければ、その機能を維持できないところまで来ている。

自然を「測れない課題」のままにしない

企業が気候変動対策を進める際には、二酸化炭素換算量という共通指標がある。
排出量を測り、削減目標を設定し、年度ごとの変化を追う。
もちろん算定には複雑な部分もあるが、共通の単位があることで、企業、投資家、行政は一定の比較ができる。
一方、自然は複雑だ。
森林面積だけを測っても、生物多様性の状態は分からない。
同じ広さの森でも、多様な生き物が暮らす天然林と、単一樹種だけが並ぶ森林では、生態系の機能が異なる。面積が維持されていても、土壌、受粉、種の移動、水の循環などが損なわれている可能性もある。
自然に関する指標は600種類以上あるとされる。
選択肢が多すぎるため、企業は何を測るべきか判断できず、行動に移せないという問題が起きてきた。
ランベルティーニ氏は、ネイチャーポジティブ・イニシアティブが合意形成を進める、自然の状態を捉える指標を紹介した。
中心となるのは、次の視点だ。
生態系がどれだけ存在するか。
生態系がどの程度健全であるか。
生物種の個体数がどう変化しているか。
生物種の絶滅リスクが高まっていないか。
自然は一つの数字にはできない。
だからこそ、企業が共通して確認すべき最小限の指標を定め、事業活動によって自然が回復しているのか、さらに悪化しているのかを測る。
ネイチャーポジティブ・イニシアティブは、生態系の面積や状態、種の個体数、絶滅リスクなどを組み合わせ、自然の状態を共通して測るための枠組みづくりを進めている。
ネイチャーポジティブは、美しい言葉や宣言ではない。
自然の状態を基準年と比較し、絶対的な改善が起きたかどうかを確認する、測定可能な目標である。

「少し悪影響を減らす」だけでは足りない

これまで企業の環境活動では、「以前より悪影響を減らした」という説明が多く使われてきた。
廃棄物を10%減らした。
水の使用量を20%減らした。
開発面積を縮小した。
それ自体は重要な改善だ。
しかし、自然が失われ続けている状況では、悪化する速度を少し緩めるだけでは、自然は回復しない。
ランベルティーニ氏は、自然にとってのネットゼロでは不十分だと指摘した。
自然への損失と回復を同じ量にして差し引きゼロにするのではなく、失われた自然を取り戻し、全体としてプラスに転じなければならない。
そのために必要な行動も示された。
地球に残る自然の少なくとも30%を保全する。
劣化した生態系の少なくとも30%を回復する。
農業、漁業、林業、インフラ、製造業など、自然への影響が大きい産業の慣行を、自然を損なうものから、自然を育てるものへ転換する。
さらに、公的補助金、融資、投資など、資金の流れを変える。
規制を整え、技術を開発し、企業行動と生活者の行動を変える。
自然に悪影響を与える事業へ資金を流しながら、その一部を自然保護へ寄付するだけでは、根本的な転換にはならない。
問われるのは、事業の中心そのものだ。

死んで利用される自然だけを、価値と呼ばない

木は、伐採され、木材になれば市場価格を持つ。
魚は、捕獲され、商品になれば売上になる。
土地は、造成され、建物が建てられれば資産として評価される。
一方、生きたまま森に立つ木、海を泳ぐ魚、開発されずに残る湿地の価値は、従来の経済では見えにくかった。
だが、生きている自然は、水を蓄え、空気を浄化し、炭素を吸収し、災害を和らげ、多くの生き物の暮らしを支えている。
自然の価値を考える際には、資源、原材料、商品として利用された後の価値だけを見てはならない。
生きたまま存在し、機能し、他の生命と関係を結んでいる自然の価値を認識する必要がある。
ただし、自然の価値をすべて金額に置き換えればよいわけでもない。
自然には、人間に役立つかどうかとは別に、存在すること自体の価値がある。
経済的価値と、自然が本来持つ内在的価値。
二つを同時に認めることが、ネイチャーポジティブへの文化的な転換になる。

「恐怖だけでは、資本は動かない」

続いて登壇したペドロ・コンセイソン氏は、人間開発の考え方に潜む盲点を指摘した。
これまでの開発政策は、所得、教育、健康、生活水準など、人間の能力や選択肢を広げることを重視してきた。
だが、その発展を支える自然や生物圏の状態は、十分に扱われてこなかった。
今後、人間の発展を制約する最大の要因は、資本や技術の不足ではなく、生物圏の劣化になる可能性がある。
水がなければ、都市も農業も産業も維持できない。
極端な暑さや洪水、干ばつが増えれば、教育、健康、所得、居住環境にも影響する。
人間開発と自然は、別々には考えられない。
一方、コンセイソン氏は、危機や恐怖だけを強調する環境メッセージの限界にも触れた。
限界を超える。
破局が迫る。
今すぐ止めなければ間に合わない。
こうした警告は必要だ。人々に危機を知らせ、規制や対策を動かしてきた。
だが、恐怖や制約を繰り返すだけでは、人々は疲れ、未来への意欲を失う。
投資家に危機だけを伝えても、新しい未来をつくる資金は集まりにくい。
資本を動かすには、避けるべき損失だけでなく、実現したい未来を示す必要がある。
自然が回復し、人々の暮らしも豊かになる。
その希望を、測定可能な目標と具体的な事業へ変える。
ネイチャーポジティブには、危機を伝える言葉と同時に、人々の願いや創造力を動かす物語が必要なのだ。

自然の状態ではなく、「自然との関係」を測る

国連開発計画が2026年の人間開発報告書に向けて開発しているのが、「自然関係指数」だ。
これは、森林面積や生物種の数など、自然そのものの状態だけを測る指標ではない。
自然が人間にどれだけのサービスを与えているかだけを測るものでもない。
人々が自然とどのような関係を結んでいるかを捉えようとする。
自然は健全な状態にあるか。
人々は自然へ接することができるか。
自然から恩恵を受けるだけでなく、自然の回復へ参加できているか。
関係とは、一方通行ではない。
「自然が私たちに何をしてくれるか」だけではなく、「私たちは自然に何ができるか」を測る。
国連開発計画は、自然関係指数を、自然と人間が互いに恩恵を得られる関係を含めて国の進歩を評価する、新しい指標として開発している。2026年版の人間開発報告書への掲載が予定されている。
目指すのは、人間開発を低く抑えて自然を守る世界ではない。
人間開発の水準が高く、同時に自然との関係も豊かな状態だ。
経済か、自然か。
人間か、生態系か。
その二者択一を越え、両方が良くなる右上の未来を目指す。

25キロ四方で見る、環境ハザードと人間開発

もう一つ紹介されたのが、「多重環境ハザード指数」の構想だった。
熱帯低気圧、干ばつ、洪水など、複数の環境ハザードへの曝露を、25キロメートル四方の細かな区域で把握する。
環境ハザードに関する地理データは、比較的細かな単位で整備されている。
しかし、人間開発指数は、国や行政区域など、大きな単位で示されることが多い。そのため、災害や環境変化が、どの地域の人々へ、どの程度影響しているのかを詳しく比較することが難しかった。
そこで衛星画像と人工知能を活用し、地域ごとの人間開発指数を高い解像度で推定する。
環境ハザードの分布と組み合わせたところ、人間開発指数が低い地域ほど、洪水、干ばつ、サイクロンなどの危険にさらされやすい関係が見えてきたという。
自然環境の劣化は、遠い未来の問題ではない。
すでに教育、健康、所得、生活の安全へ影響を与えている。
しかも、社会的に弱い立場にある人々ほど、その影響を強く受けやすい。
ネイチャーポジティブは、生物や森林だけを守る政策ではない。
環境リスクの不公平を減らし、人々の安全と尊厳を守るヒューマンポジティブの政策でもある。

人間は、自然の破壊者であると決まってはいない

人間の活動が、地球の自然を大きく損なってきたことは否定できない。
だが、人間は本質的に自然を破壊する存在なのだろうか。
コンセイソン氏は、人間には、自分の行動を振り返り、考え、選び直す力があると語った。
人間は、目の前の欲求だけに突き動かされる存在ではない。
行動の結果を理解し、異なる未来を想像し、制度や技術、暮らし方を変えることができる。
過去には、オゾン層の破壊、大気汚染、有害物質など、深刻な環境問題に対し、国際社会が協力して規制と技術開発を進め、危機を緩和した例がある。
人類は問題を生み出す力を持つ。
同時に、問題を認識し、協力して修復する力も持っている。
ネイチャーポジティブに必要なのは、人間を自然から排除することではない。
自然を支配する存在から、自然の一員として手入れに参加する存在へ変わることだ。

「We need nature」から「We are nature」へ

私たちには自然が必要だ。
水、食料、空気、原材料、気候の安定、災害からの防護。企業も都市も暮らしも、自然の機能に依存している。
だが、それだけでは足りない。
自然を、人間に必要なサービスを提供する外部の装置として見る限り、人間と自然の分断は残る。
私たちは自然を利用する存在である前に、自然の一部である。
体をつくる水も、食べ物も、呼吸する酸素も、すべて生態系の循環から生まれている。
「We need nature」から「We are nature」へ。
この認識の転換が、ネイチャーポジティブの最も深い部分にある。
自然の面積を測る。
生態系の健康を測る。
種の減少や回復を測る。
人間と自然の関係を測る。
災害や環境変化による不公平を測る。
測定するのは、数字を並べるためではない。
社会が正しい方向へ動いているかを確かめ、必要なら進路を変えるためだ。
人類の大躍進と、自然の大衰退。
その二つを同時に生み出してきた発展のかたちを、これからも続けるのか。
それとも、人間の豊かさと自然の回復が同じ方向へ進む、新しい発展を選ぶのか。
ネイチャーポジティブは、自然保護の目標であるだけではない。
人間とは何か。進歩とは何か。豊かさとは何か。
その根本を問い直し、この地球で生き続ける方法を選び直すための目標なのだ。

参考情報

Nature Positive Initiative「State of Nature Metrics」
https://www.naturepositive.org/metrics/

国連開発計画「Nature Relationship Index」
https://hdr.undp.org/nature-relationship-index

国連開発計画「Towards 2026 Human Development Report」
https://hdr.undp.org/reports-and-publications/towards-2026-human-development-report

書籍「Becoming Nature Positive」
https://www.naturepositive.org/book/

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