★ここが重要!

★要点
2026年7月14日、「GLOBAL NATURE POSITIVE SUMMIT 2026」が熊本城ホールで開幕した。
高円宮妃久子殿下、熊本市の大西一史市長、生物多様性条約事務局、地球環境ファシリティ、各国政府、経済界の代表者が登壇。開会式を貫いたのは、「人間は自然の一部である」「生物多様性は経済の制約ではなく、社会を支えるインフラである」という認識だった。
自然を守ることと、経済を成長させることを対立させるのではない。
企業の調達、投融資、都市インフラ、地域づくり、雇用へ自然再生を組み込み、経済そのものをネイチャーポジティブへ転換する。そのための制度、資金、技術が、動き始めている。
★背景
2030年までに自然の損失を止め、回復へ転じるという世界目標まで、残された時間はわずかだ。
2022年に採択された「昆明・モントリオール生物多様性枠組」は、陸域と海域の少なくとも30%を保全する30by30をはじめ、企業活動、金融、消費、生産のあり方まで含めた社会全体の変革を求めている。
一方、自然は、二酸化炭素のように一つの単位だけでは測れない。
森、水、土壌、海、生物種は地域ごとに異なり、その土地に暮らす人々の文化や産業とも深く結びついている。
自然を経済へ組み込むことは、自然に値札を付けることではない。企業も経済も自然の中に存在しているという、これまで見落とされてきた前提を取り戻すことなのだ。

太鼓の音が、熊本城ホールに響いた。
力強く打ち込まれるばち。軽やかな笛。若者たちの掛け声と笑顔。
「GLOBAL NATURE POSITIVE SUMMIT 2026」の開会を告げたのは、国際機関の宣言でも、金融市場の数字でもなかった。熊本市立必由館高校太鼓部による、熊本の自然と文化を映した演奏だった。
その後、壇上から世界へ向けて、いくつもの言葉が投げかけられた。
自然は、人間がいなくても生き延びることができる。
しかし、人間は自然なしには生きられない。
人間は自然から離れた存在ではない。ましてや、自然の上に立つ存在でもない。
自然を守るのは、優しさや善意のためだけではない。水、食料、原材料、災害からの安全、雇用、企業活動、経済そのものを守るためである。
2026年7月14日、熊本で始まった国際会議。
そこに集まったのは、自然保護を訴える人々だけではなかった。
政府、自治体、企業、金融機関、国際機関、研究者、先住民族・地域コミュニティ、市民社会。
議論の焦点は、すでに「自然を守るべきか」ではない。
自然を回復させる経済へ、どう移行するのか。
その問いだった。
サミットは、自然損失を止め、回復へ転じるための民間企業と自治体の行動加速を主要テーマに掲げている。

熊本の太鼓から始まった、世界への呼び掛け

開会演奏を担当した熊本市立必由館高校太鼓部は、熊本の民謡や風景を題材に、力強さ、華やかさ、しなやかさを織り交ぜた演奏を披露した。
生物多様性を測る国際指標。自然関連リスクを扱う金融。衛星データやAIによる自然資本の可視化。
そうした専門的な議論が続く会議の幕開けに、地域の若者たちが立ったことには意味がある。
ネイチャーポジティブは、国際会議の中だけで完結するものではない。土地に根づいた文化、若い世代の参加、地域の暮らしへつながって初めて、社会の中で生きた活動になる。
総合司会からは、2030年までに自然の損失を止め、回復へ転じるという世界共通の約束に向け、行動を加速させるためのサミットであることが説明された。
同時開催された展示会「NATURE TECH!」には、衛星センシング、AI、IoTなどを活用し、自然の状態を可視化する技術や、持続可能な企業経営を支えるサービスが集められた。
自然を思う気持ちと、自然を測る技術。
地域の文化と、世界の経済。
その二つをつなぐことが、熊本で始まった議論の出発点だった。

地下水都市・熊本が抱える、成長と自然の現実

開催都市を代表して登壇した大西一史市長は、熊本城に象徴される歴史と文化、豊かな農産物や海産物、そして熊本を支える地下水について語った。
熊本市は、約74万人の市民が使う水道水のすべてを地下水で賄う、世界でも珍しい都市である。
地下水は飲み水であるだけではない。農業、食品、飲料、観光、製造業など、地域経済の広い範囲を支える自然資本だ。
一方、近年は半導体関連企業をはじめとする産業集積が進み、地下水の取水量や水質への影響が懸念されている。熊本市も、半導体関連企業の進出に伴い、河川の水質測定や規制外物質のモニタリングを強化している。
産業が発展すれば、雇用が生まれ、地域経済は潤う。
だが、その成長が地下水を損なえば、企業も市民も長期的には存続できない。
自然か、経済か。
熊本が直面しているのは、そのような単純な二者択一ではない。
地域の経済を育てながら、経済を支える水を守り続ける。産業政策と環境政策を、同じ地域の未来として設計する。
熊本は、ネイチャーポジティブ経済の可能性だけでなく、その難しさも映し出す開催地だった。

「自然は人間なしでも生きられる」

高円宮妃久子殿下は、海外からの参加者へメッセージを届けたいとして、英語で挨拶された。
日本の国土のおよそ67%は森林で覆われている。針葉樹林、落葉広葉樹林、亜高山帯の森、照葉樹林、南部の亜熱帯雨林やマングローブ林まで、南北に長い日本列島には多様な森林生態系が存在する。
日本人は古くから、田畑、山、川、海と関わりながら暮らしてきた。
集落や田畑のそば、山頂、川辺、海岸にある小さな神社。神社や寺院を囲む鎮守の森。大きな岩や古木、昇る太陽、広い海を前に、人々は自然への畏れと感謝を示してきた。
そうした文化を紹介した上で、妃殿下は、人間と自然の関係を明快に表現された。
人間は自然の一部であり、自然から切り離された存在でも、自然を超越した存在でもない。
そして、自然は人間なしでも存続できるが、人間は自然なしには生きられない。行動を改めなければならないのは、人間の側である。
北極圏の氷の融解についても言及された。
極地の氷は、地球の温度を調整する巨大な空調装置の一部である。その氷が失われれば、影響は北極圏だけにとどまらない。海洋によってつながる東南アジアや日本を含め、地球全体へ波及していく。
便利さ、快適さ、物質的な豊かさを追求する速度を、少しでも緩めること。
行動が小さく見えても、何もしないよりはるかに良い。
一歩進んだ後に二歩下がることがあったとしても、その一歩がなければ、三歩後退していたことになる。
ネイチャーポジティブとは、巨大な制度や投資だけを意味するのではない。一人ひとりが、自分の便利さと自然との関係を見直すことからも始まる。

生物多様性は、経済を妨げるものではない

生物多様性条約事務局長のアストリッド・ショーメーカー氏は、開会式の中心的なメッセージを、次のように表現した。
生物多様性は、経済発展の制約ではない。経済発展の基盤である。
森林、水、湿地、土壌、海、生物種。
これらは、企業活動の外側にある美しい風景ではない。
食料を生産し、水を浄化し、洪水や山火事の被害を和らげ、気候を調整し、人々の健康と暮らしを支えている。
言い換えれば、生物多様性はインフラである。それも、道路や橋、発電所より以前から、人間社会を支えてきた最も根源的なインフラだ。
ショーメーカー氏は、森林再生や湿地保全に1ドルを投資することで、山火事や洪水によって将来発生する費用を最大7ドル抑えられる可能性を紹介した。
自然再生は、支出だけではない。
災害を予防し、農林水産業を支え、観光やレクリエーションを生み、雇用をつくる投資でもある。
自然を活用して社会課題を解決する「自然を基盤とした解決策」への投資を拡大することで、2030年までに最大3,200万人の新たな雇用を生み出せる可能性も示されている。
自然保全は、成長を止めるブレーキではない。
どのような成長を選ぶのかを示す、ハンドルなのだ。

自然を「調達」と「インフラ」へ組み込む日本

今回の開会式は、理念を語るだけの場ではなかった。日本の政策が、自然を経済活動の中へ組み込み始めていることも示された。
石原宏高環境大臣は、ビデオメッセージで、企業が自然に与える影響を減らし、前向きな変化の担い手になる重要性を強調した。
中でも焦点となったのが、サプライチェーンの起点である「調達」だ。
木材、食品、紙、繊維、鉱物、天然ゴム、化粧品原料。
企業が購入する原材料の背後には、森林、農地、水、生態系がある。価格と品質、納期だけを見て調達を続ければ、知らないうちに自然破壊へ資金を流してしまう可能性がある。
環境省はサミット開幕日の7月14日、「調達におけるネイチャーポジティブに向けた実践ガイドライン」を公表した。
自然資本の損失による調達価格の上昇や供給困難を経営リスクとして捉え、企業が原材料の由来や自然への影響を確認し、サプライチェーン全体で改善するための基本的な考え方を示すものだ。
土居健太郎・環境省地球環境審議官は、企業や自治体、地域団体が管理する自然を認定する「自然共生サイト」が、2026年7月時点で610カ所に広がったと報告した。
さらに、自然共生サイトへの寄付を株主優待や企業の特別メニューへ組み込む「30by30達成キャンペーン」も紹介された。
認定して終わるのではない。
企業や市民から継続的な資金が流れ、森や里山、湿地、海岸を長期にわたって手入れできる仕組みへ育てる試みだ。
国土交通省も、「グリーンインフラ推進戦略2030」を通じ、森林、河川、湿地、海辺など、自然が持つ多様な機能を社会資本として活用する方針を示している。
2027年3月に横浜で開幕するGREEN×EXPO 2027のテーマは、「幸せを創る明日の風景」。
自然と都市を分けるのではなく、自然を都市や地域の中へ組み込み、暮らしの安全、魅力、幸福を支えるインフラとして育てていく。
熊本での議論は、横浜へもつながっていく。

39億ドルは、自然を回復する流れをつくれるか

理念や技術があっても、資金がなければ自然再生は続かない。
地球環境ファシリティの暫定CEOを務めるクロード・ガスコン氏は、2026年7月から2030年6月までを対象とする第9次増資期間「GEF-9」について説明した。
GEF-9の事業規模は39億ドル。
ガスコン氏によれば、資金の35%を生物多様性分野へ配分し、10%を公的資金と民間資金を組み合わせるブレンド金融に充てる。
さらに、プログラム全体の25%でブレンド金融を動員する目標を掲げる。
公的資金だけで、世界の自然再生に必要な費用を賄うことは難しい。
限られた公的資金を呼び水にして、企業や金融機関の投資を自然再生へ振り向ける必要がある。
ただし、資金を増やせば自動的に自然が回復するわけではない。
投資効果を測りやすい大型案件だけが優先され、地域に根づいた小さな活動が取り残される危険もある。自然に経済価値を付けることが、その土地の文化や暮らしを切り捨てる理由になってはならない。
そこで重要になるのが、先住民族と地域コミュニティの参加だ。
GEF-9では、資金の20%を先住民族・地域コミュニティへ直接届けるという意欲的な目標が設けられた。
彼らが持つ土地の知識、自然との関係、長年の管理経験を、自然再生の中心へ位置づける考え方である。
ネイチャーポジティブ金融に必要なのは、単に資金量を増やすことではない。
誰が意思決定し、誰に資金が届き、誰が自然を手入れし続けるのか。
資金の流れと、地域の主体性を同時に設計することだ。

ネイチャーポジティブを、企業の成長戦略にする

経団連の筒井義信会長は、気候変動、生物多様性の損失、資源制約、地政学的リスクが、経済社会の安定と企業の成長基盤を脅かしていると指摘した。
生物多様性と自然資本の保全は、企業の事業継続性や競争力を支える基盤であり、新しい価値を生む成長の源泉でもある。
設備投資、研究開発投資、人への投資。
そこへ自然資本への投資を加える。
自然への取り組みを、社会貢献やコストとしてではなく、未来への投資として位置づける考え方だ。
経団連は「投資牽引型経済」への転換を掲げている。自然資本を企業価値、地域の持続性、新しい技術やサービスの創出へつなげられるかどうかが、その成長の質を左右する。
ただし、「ネイチャーポジティブ」という名称を付けただけで、すべての事業が自然に良いものになるわけではない。
どの自然に依存しているのか。
どの地域で、どのような負荷を与えているのか。
回復によって、何がどれだけ増えたのか。
地域住民や専門家は意思決定に参加しているのか。
測定、検証、情報公開がなければ、ネイチャーポジティブは新しいグリーンウォッシュにもなり得る。
自然を経済に組み込むと同時に、経済活動を自然の限界の内側へ戻す。
その両方が必要になる。

自然を救うのではない。人間の生き方を整え直す

高円宮妃久子殿下は、サミットの参加者に対し、他の人々が後に続けるよう、進むべき道を照らす「灯台」の役割を担ってほしいと呼び掛けられた。
自然を回復させる技術は、すでにある。
自然を測る科学も、資金を動かす金融も、企業を変える制度も整い始めている。
不足しているのは、人間が自然の外側にいるという思い込みを手放し、実際の行動へ移すことなのかもしれない。
自然は、人間に保護してもらわなければ存在できない、弱い対象ではない。
むしろ、自然の力によって生かされているのが人間であり、企業であり、経済である。
ネイチャーポジティブとは、人間が自然を救う物語ではない。
自然を損なうことでしか成長できなかった経済と、人間の生き方を整え直す試みだ。
熊本の開会式で語られたのは、自然への美しい賛辞だけではなかった。
調達を変える。
インフラを変える。
資金の流れを変える。
企業経営を変える。
地域の人々を意思決定の中心に置く。
そして、便利さや豊かさとは何かを、一人ひとりが問い直す。
2030年まで、残された時間は長くない。
小さな一歩であっても、何もしないよりはるかに良い。
熊本から始まったのは、自然を守るための会議であると同時に、この地球で人間がどう生き続けるのかを選び直すための会議だった。

参考情報

GLOBAL NATURE POSITIVE SUMMIT 2026
https://www.naturepositive.org/events/summit/

環境省「調達におけるネイチャーポジティブに向けた実践ガイドライン」の策定について
https://www.env.go.jp/press/press_05290.html

環境省「自然共生サイト 30by30」
https://policies.env.go.jp/nature/biodiversity/30by30alliance/kyousei/

国土交通省「グリーンインフラ推進戦略2030」
https://www.mlit.go.jp/sogoseisaku/environment/sosei_environment_tk_000017.html

地球環境ファシリティ「GEF-9 Replenishment」
https://www.thegef.org/who-we-are/funding/gef-9-replenishment

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