
★要点
2026年7月14日、「GLOBAL NATURE POSITIVE SUMMIT 2026」で、「ネイチャーポジティブ・ネットゼロ・循環経済の統合的推進」をテーマとするパネルディスカッションが開かれた。
登壇したのは、日本航空、東京海上ホールディングス、インドのリサイクル企業アテロ・リサイクリング、ユーラシア・グループ、コンサベーション・インターナショナルの関係者。航空、保険、資源循環、地政学、自然保護という異なる立場から、気候変動対策で得られた経験を、自然再生へどう生かすかが議論された。
ネットゼロには、1.5度目標や二酸化炭素排出量という共通の目標と測定単位がある。一方、自然は地域ごとに生態系が異なり、一つの数字では測れない。
それでも、自然の劣化はすでに、観光需要、保険金支払い、サプライチェーン、農業、水資源、国際競争力へ影響している。
気候、自然、資源を別々に管理するのではなく、企業経営と地域づくりの中で一つにする。
それが、ネットゼロの次に企業へ求められる経営の形である。
★背景
気候変動対策は、自然保護より早く企業経営へ組み込まれてきた。
背景には、パリ協定、1.5度目標、ネットゼロ、二酸化炭素換算量など、国際的に共有された目標と指標がある。
企業は排出量を測り、削減目標を設定し、投資家や顧客へ進捗を説明できるようになった。
一方、生物多様性や自然資本は、森、海、河川、湿地、土壌、生物種など対象が広く、土地によって状態も価値も異なる。そのため、共通の目標や効果測定の仕組みが定着するまでに時間がかかっている。
だが、気候、自然、資源循環は本来、切り離せない。
脱炭素のために大量の鉱物を採掘し、森林や地域社会を損なえば、ネットゼロとネイチャーポジティブは衝突する。
リサイクルを進めても、製品の生産や原料採取によって自然を破壊し続ければ、循環経済とは呼べない。
問われているのは、個別目標の達成ではない。
地球全体の仕組みを壊さずに、人間の経済を動かすことである。
船を動かすのは、燃料だけではない。
世界の物流を支えるパナマ運河では、船を水位の異なる場所へ移動させるため、大量の淡水が必要になる。
その水を供給しているのは、パナマの河川、湖、森林を含む流域の自然だ。
2023年から2024年にかけて深刻な干ばつが発生し、運河を通過できる船の数は大幅に制限された。
講演では、運航量が36%削減され、パナマ経済に数億ドルの損失が生じたと紹介された。パナマ運河庁も、水不足を受けた運航制限によって、2024会計年度の通航料収入が通常時より約2億バルボア減少するとの見通しを示していた。
影響を受けたのは、運河や海運会社だけではない。
運河を通る原材料や製品を利用する、世界中の企業だった。
自然から遠く離れているように見える企業も、水、気候、森林、海、生態系に依存している。
自然の劣化は、環境問題であると同時に、物流、価格、調達、保険、投資、国家安全保障を揺らす経済問題なのだ。
では、企業は気候変動、自然損失、資源制約をどのように扱えばよいのか。
一つずつ別の担当部署へ任せるのか。
それとも、互いに影響し合う一つの経営課題として捉えるのか。
熊本で行われたパネルディスカッションは、縦割りから統合へ向かう企業経営の現在地を映していた。
なぜ、気候変動対策は自然保護より先に進んだのか
モデレーターを務めたエレノア・ウィットル氏は、気候変動対策が自然保護よりも早く進んだ理由を二つ挙げた。
一つは、国際的に共有された目標があることだ。
世界の平均気温の上昇を1.5度に抑える。
温室効果ガスの排出量を実質ゼロにする。
企業や国は、その目標から逆算して削減計画を立てることができる。
もう一つは、二酸化炭素排出量という比較的分かりやすい共通単位があることだ。
省エネルギー設備を導入した。
再生可能エネルギーへ切り替えた。
持続可能な航空燃料を使った。
それぞれの取り組みによって、温室効果ガスをどの程度削減できたのかを数値で示すことができる。
自然は、それほど単純ではない。
森林面積が同じでも、そこに暮らす生物の種類や個体数、土壌、水循環、森の健全性は異なる。
ある場所で効果を発揮した活動が、別の場所でも同じ結果を生むとは限らない。
自然に関する取り組みが遅れてきた理由は、重要性が低いからではない。
複雑で、測りにくく、企業の事業との関係が十分に理解されてこなかったからだ。

自然は、航空需要を生み出す「目的地資本」
日本航空の斎藤祐二氏は、航空業界で脱炭素が経営課題になった背景を説明した。
航空業界が排出する二酸化炭素の総量は、世界全体で見れば他の大産業を上回るものではない。
しかし、一人を一定距離運ぶ際の排出量は、鉄道などと比べて大きい。
欧州では、飛行機に乗ることへの罪悪感を表す「飛び恥」という言葉も生まれた。
二酸化炭素を減らさなければ、航空業界そのものが社会から受け入れられなくなる。
さらに、国際民間航空機関が国際航空の排出削減枠組みを整えたことで、航空各社は共通の目標に沿って動きやすくなった。
一方、自然に対する航空会社の関係は、排出量だけでは測れない。
自然は、航空機で移動する目的そのものでもある。
美しい海。
サンゴ礁。
森林。
雪山。
里山。
国立公園。
自然が失われれば、そこへ向かう観光需要も失われる。
逆に、自然環境が回復し、地域の魅力が高まれば、新しい人の移動が生まれる。
航空会社にとって自然は、守るべき環境であると同時に、将来の需要を生み出す「目的地資本」なのだ。
JALは2023年にTNFDフォーラムへ参加し、TNFDの試行的な情報開示を実施した。同年には自然関連の国際目標へ対応する宣言を行い、世界の航空会社として初めてTNFDの早期採用者に登録している。
沖縄でのサンゴ保全や北海道などでの森林保全にも取り組んでいる。
ただし、一社だけで広大な自然を回復させることには限界がある。
旅行者が自然の価値を知り、地域での保全活動へ参加する。
航空会社、観光事業者、自治体、住民が、移動によって生まれる利益の一部を自然へ戻す。
ツーリズムを、自然を消費する仕組みから、自然を育てる仕組みへ変えられるかが問われている。
保険会社は、事故の後だけでなく、事故の前に働く
東京海上ホールディングスの鍋嶋美佳氏は、自然関連リスクは将来の懸念ではなく、すでに保険事業の現実になっていると語った。
森林、湿地、マングローブなどが失われると、自然が持つ防災機能も弱くなる。
森林が劣化すれば、土砂災害や山火事のリスクが高まる。
湿地が失われれば、雨水を一時的に受け止める場所が減り、洪水が起こりやすくなる。
マングローブが減少すれば、高潮や津波から沿岸部を守る力も低下する。
その結果、保険金の支払額が増え、企業の事業継続が難しくなり、投資先の価値も下がる。
東京海上グループは、自然への依存と影響を分析するENCOREなどのツールを使い、保険引受や投資ポートフォリオにおける自然関連リスクを評価している。
自動車、製造業、商社など、自然への依存や影響が比較的大きい業種を特定し、より詳細な分析を進めている。
ただし、同じ業種でも、工場の場所、使用する原材料、水源、周辺の生態系によってリスクは変わる。
企業ごとの状況に合わせて自然関連リスクを評価し、保険や投資の判断へ結びつける方法は、まだ発展途上だ。
鍋嶋氏が示したのは、保険会社の役割の変化だった。
損失が発生した後に保険金を支払うだけではない。
損失が起きる前にリスクを見つけ、企業や自治体とともに被害を減らす。
リスクを移転する保険から、リスクそのものを小さくする保険へ。
東京海上グループは、気候変動と自然関連課題を一体的に扱う必要があるとして、TCFDとTNFDに関する開示を「Climate & Nature Report」に統合している。

湿地をつくることが、400戸を守る保険になる
自然を利用した防災の実例として紹介されたのが、ロンドンのベッケナム・プレイス・パークで行われた再生プロジェクトだった。
洪水が起きやすかった約17ヘクタールの土地を、湿地、草原、雨水を一時的に蓄える空間へ変えた。
雨を排水管だけで処理するのではなく、自然の地形や植物によって受け止め、流出する速度を遅らせる。
その結果、400戸を超える住宅の洪水リスクを抑えながら、生物多様性を回復し、市民が利用できる場所も生まれた。
一つの事業で、防災、生態系再生、健康、地域交流を同時に実現する。
自然を基盤とした解決策の価値は、ここにある。
自然へ投資することは、環境保護費用を増やすことではない。
将来支払う保険金、復旧費用、営業停止による損失を減らすことでもある。
保険に加入できる価格を維持するためにも、自然の防災機能を回復させる必要がある。
気候変動は、環境問題から地政学へ広がった
ユーラシア・グループのフランク・グバギディ氏は、気候変動が環境問題から経済、そして地政学へ広がった過程を説明した。
気候変動問題の土台には、地球の温度上昇を防ぎ、将来世代を守るという環境上の目的がある。
そこへ科学者、技術者、政策担当者が加わり、パリ協定や各国の削減目標が生まれた。
国が目標を定めれば、企業も対応を求められる。
対応しなければ、規制、投資家、顧客、取引先から取り残される。
一方、新しい市場も生まれた。
太陽光発電。
風力発電。
蓄電池。
水素。
電気自動車。
気候変動対策は、新しい産業と競争優位を生み出す経済政策にもなった。
さらに現在は、エネルギー転換に必要な重要鉱物の確保や、太陽光パネル、蓄電池などのサプライチェーンを誰が握るのかが、国家間の競争になっている。
水資源や食料をめぐる対立も強まっている。
気候変動は単独で戦争や対立を引き起こすわけではない。
だが、既存の政治的不安、貧困、資源不足へ重なり、危機を深刻にする要因になる。
自然損失も、いずれ同じ道をたどる可能性がある。
森林、水、土壌、生物資源、食料をめぐる問題は、企業の環境担当者だけが扱うテーマではない。
国家安全保障と国際競争の問題になり始めている。

脱炭素のために自然を壊す矛盾
ネットゼロを急ぐあまり、自然を損なうことがある。
再生可能エネルギー設備を大量に導入するため、鉱物採掘を拡大する。
バイオ燃料を生産するため、天然林を農地へ転換する。
太陽光発電所を建設するため、森林や草原を大規模に造成する。
気候変動対策だけを見れば、二酸化炭素排出量を減らせるかもしれない。
だが、生物多様性、水循環、地域住民の暮らしを損なえば、地球全体では問題を別の場所へ移しただけになる。
循環経済も同じだ。
使用済み製品を回収し、再資源化することは重要である。
しかし、製品を大量につくり、大量に消費する構造を変えず、原料採取による自然破壊を見過ごせば、本当の循環にはならない。
再生可能エネルギーだから良い。
リサイクルしているから良い。
脱炭素だから良い。
一つの指標だけで判断せず、その活動が気候、自然、資源、地域社会へどのような影響を与えるのかを、全体で確認する必要がある。
森林の手入れから、航空燃料をつくる
JALがライトニングラウンドで紹介したのが、東北地方の森林資源を活用するプロジェクトだった。
木材を製材する際に出る端材や、持続可能に管理された森林資源からバイオエタノールを生産し、将来の持続可能な航空燃料へつなげる。
森林は、伐採しなければよいとは限らない。
適切な時期に木を切り、若い木を育て、森林を循環させることが、森林の健康と地域林業の維持につながる場合がある。
これまで廃棄されていた端材を燃料の原料として使えば、資源循環にもなる。
化石燃料由来の二酸化炭素を減らす。
森林を適切に管理する。
廃棄物を資源へ変える。
地域に雇用と産業を生む。
ネットゼロ、ネイチャーポジティブ、循環経済を一つのプロジェクトで進める試みだ。
JALは、東北地方の製材端材などを原料に、2027年から年間1,000キロリットル以上のバイオエタノール生産を目指している。
重要なのは、「森林由来だから環境に良い」と単純に判断しないことだ。
森林の伐採量、再生能力、生物多様性、輸送、燃料製造時のエネルギーまで検証し、地域の自然資本が本当に維持される仕組みをつくらなければならない。

企業を動かす四つの鍵
コンサベーション・インターナショナルの登壇者は、企業が個別の環境活動から統合的な経営へ移行するための要素として、四つを挙げた。
言葉。
認識。
枠組み。
パートナーシップ。
第一は、伝わる言葉を使うことだ。
生物多様性や生態系サービスという言葉は科学的には正確でも、企業経営者や一般の生活者に直ちに伝わるとは限らない。
コンサベーション・インターナショナルが掲げるメッセージは、簡潔だ。
「人々には自然が必要だ」
水を飲む。
食べ物を得る。
暑さを和らげる。
災害から守られる。
自然との関係を、自分の暮らしとして理解できる言葉が必要になる。
第二は、企業が自然へ依存している現実を認識すること。
講演では、S&P Globalの企業の85%が自然に大きく依存しているとの調査結果が紹介された。
第三は、TNFDや自然に関する科学的目標など、企業が依存、影響、リスク、機会を把握するための枠組みである。
第四は、パートナーシップだ。
自然は、企業の敷地や行政区域の中だけで完結しない。
森林、河川、流域、海、生態系は境界を越えてつながっている。
一社の小規模な保全活動だけでなく、企業、政府、地域住民、農家、研究者、NGOが、流域や景観の単位で協力する必要がある。

小規模農家の所得と、森林保全を同時に進める
統合的な取り組みの例として紹介されたのが、インドネシア・北スマトラで進められている持続可能なパーム油生産だった。
パーム油は、食品、洗剤、化粧品など、日常生活のさまざまな製品に使われている。
一方、生産地では農地拡大による森林破壊、生物多様性の減少、水環境の悪化、温室効果ガスの排出が問題になってきた。
コンサベーション・インターナショナル、ユニリーバ、地域の関係者は、小規模農家が森林を破壊せず、生産量と所得を高められる農法の普及に取り組んでいる。
目標は、原料を持続可能な方法で調達することだけではない。
農家の暮らしを安定させ、森林を守り、地域全体を災害や気候変動に強くすることだ。
同地域の「Coalition for Sustainable Livelihoods」は、政府、企業、市民社会、地域コミュニティが目標と投資を共有し、森林を破壊しないパーム油生産を広げている。
自然保全が地域住民の所得を奪えば、活動は長続きしない。
企業の調達、農家の生活、生物多様性を一つの仕組みとして設計することが、ネイチャーポジティブの条件になる。
自然を「投資できる成果」に変える
気候変動対策では、二酸化炭素の削減量や吸収量を取引するカーボンクレジットが、民間資金を動かす手段として使われてきた。
完全な制度ではない。
削減効果の過大評価、二重計上、地域住民への利益配分など、多くの課題がある。
それでも、環境上の成果を測定し、投資可能な価値へ変える道を開いた。
自然にも、同様の仕組みをつくれる可能性がある。
森林を回復させた。
湿地を再生した。
生物種の個体数を増やした。
水質を改善した。
こうした成果を信頼できる方法で測り、「自然クレジット」などの形で評価できれば、寄付や公的資金だけに頼らず、企業や投資家の資金を自然再生へ流せる。
ただし、自然は炭素以上に複雑だ。
森と海、昆虫と大型哺乳類を、単純に同じ単位へ置き換えることはできない。
地域住民や先住民族の権利が守られなければ、自然を新たな金融商品として利用するだけになってしまう。
必要なのは、厳格な測定、透明性、地域への利益、追加的な自然回復、長期的な管理である。

完璧な制度を待たず、まず行動する
自然に関する測定方法や国際基準は、まだ発展の途中にある。
だからといって、すべてが決まるまで企業が待っていてよいわけではない。
自社がどの自然に依存しているかを調べる。
水や原材料の調達先を確認する。
自然関連リスクを経営会議で扱う。
地域の保全活動へ参加する。
小さな実証実験を始める。
最初から大規模な事業投資が難しければ、CSR予算を使った小規模な活動からでもよい。
活動を通じて社内に知識を蓄え、自然と事業の接点を見つけ、次の投資へつなげていく。
重要なのは、完璧な用語や制度を待つことではなく、測りながら動き、学びながら改善することだ。

三つの円ではなく、一つの地球として考える
ネットゼロ。
ネイチャーポジティブ。
循環経済。
三つの目標は、別々の円として描かれることが多い。
だが、現実の地球に境界線はない。
森林は炭素を吸収し、水を蓄え、生き物を育て、木材や食料を提供する。
海は気候を調整し、二酸化炭素を吸収し、魚を育て、世界の物流を支える。
土壌は農作物を育て、水を浄化し、炭素を蓄える。
一つの自然が、気候、資源、経済、暮らしを同時に支えている。
だから企業側の目標も、一つに結び直す必要がある。
二酸化炭素を減らしながら、自然を回復させる。
資源を循環させながら、原料採取による破壊を減らす。
自然を守りながら、地域の所得と雇用を生み出す。
災害後の補償だけでなく、自然の力によって災害そのものを減らす。
気候、自然、循環経済を統合するとは、三つの新しい担当部署をつくることではない。
製品、調達、投資、保険、観光、物流、地域づくりのすべてを、地球の循環の中へ戻すことだ。
脱炭素だけでは、地球は整わない。
自然保護だけでも、資源循環だけでも足りない。
地球を一つのシステムとして捉え、その中で経済を設計し直す。
熊本のパネルディスカッションが示したのは、理念ではなく、これからの企業経営に必要な現実的な視点だった。
参考情報
GLOBAL NATURE POSITIVE SUMMIT 2026
https://www.naturepositive.org/events/summit/
JAL「生物多様性の保全」
https://www.jal.com/ja-jp/sustainability/environment/biodiversity/
JAL「持続可能な航空燃料の開発・利用」
https://www.jal.com/ja-jp/sustainability/environment/climate-action/saf/
東京海上ホールディングス「自然の豊かさを守る」
https://www.tokiomarinehd.com/sustainability/management/nature/
東京海上ホールディングス「Climate & Nature Report 2025」
https://www.tokiomarinehd.com/sustainability/pdf/sustainability_climate_nature_report_2025.pdf
コンサベーション・インターナショナルとユニリーバの取り組み
https://www.conservation.org/partners/unilever
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